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耕田院の日常(222回目)山形県羽前大山駅

「猿猴捉月」

投稿日:2023年03月19日(日)
猿猴捉月(えんこうそくげつ)について考える。

◆猿猴とは「手なが猿」のことをいう。また、捉はとらえることだ。月を「つかまえる」という意味だ。

◆「猿猴捉月」とは、「手なが猿」が水に映った月を取ろうとして、失敗したと故事である。 (摩訶僧祇律)

◆次のような話だがどう思うだろう。

◆昔、インドの林の中に500匹の猿が住んでいた。
あるとき林の中を遊び歩いていて、ニヤグローダ(インドのいちじくの樹)木の下まで来るとそこに一つの井戸があった。

◆中をのぞくと、天上に輝いていた月が真ん丸いその影を水に映していた。

◆彼らの頭目はこの月影を見て他の猿に言う。
「おい見ろ、月が死んで、この井戸の中に落ちているぞ。これを拾い出して、世の中から闇というものをなくそうではないか」
すると他の猿どもは
「それは賛成ですが、どうやって月を拾い出すんですか」と聞いた。

◆頭目は答えた。
「それはちゃんと俺が心得ている俺がまずこのニヤグローダの枝につかまるから、お前たちの中でいちばん大きな奴が俺の尾をつかむのだ。その次に大きい奴がそいつの尾をつかむ。こうして、次々に尾をつかんで井戸の中に下りていって、最後の猿が月を拾い出すのだ」
一同の猿は手をたたいて喜び、「それは実に妙案だ」と言い、いよいよ実行に移した。

◆頭目が、ニアグローダの枝にぶらさがると、それにどんどんぶらさがっていく。

◆そして、とうとう最後の猿が手を伸ばして水中の月をつかまえようとしたときニアグローダの枝がぽきんと折れた。500匹の猿はざぶんと水煙をたてて、井戸の中へ。

◆真ん丸いその影を水に映していた月は本物の月ではない。月影。つまり偽りの月である。500匹のもの猿は、誰一人空に輝く本物の月には目はいかず、水面の月を真理(本物の月)と思って求め、身を滅ぼす話なのである。

◆この話が教えているのは「人間の性」だ。「水面の月」に手を伸ばしているのは、手なが猿ではなく、我々人間だ。

◆リーダーが、謝った判断で隣の国(水面の月)に手を伸ばし、北の戦争が起こった。二年目に入っても終息の兆しは見えず、苦しむ人々が日々増えている。直接的には関わりのない人々までもが飢えで苦しんでいる。国と国が本気で争いをすれば、地球規模の問題になることが明らかになった。世界はつながっている。

◆本物の月への挑戦も同様だ。それこそ人類は月をつかまえようと月への到達競争を再び始めている。垣間見えるのは薔薇色の宇宙事業ではない。かつては、国際協調の主役だった宇宙事業が、「空を巡る覇権」争いの代理とでもいうかのようだ。

◆月を目指す覇権争いが、世界の貧困の解消ではなく、まやかし(水面の月)を目指していることなど明らかなのに、危うい方向へ、方向へと進んでいくのは人類の性というものなのであろうか。このままでは、いつか水中に落ちた猿と同じ「滅」への運命をたどってしまうのではないか。

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耕田院(山形県)

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