耕田院の日常(206回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年03月03日(金)
◆今日の輪橋山徒然話は、「寛齢」のご婦人の人生相談、「昔の恋人との思い出がいつまでも美しい」と「老いらくの恋」について考える
◆「もう一度昔別れた恋人に会いたい」という相談をなされていた「寛齢」のご婦人は、もう70歳はいくつも超えているという。そして、ご婦人には、旦那さまも息子さんもいらっしゃるそうだ。「寛齢」のご婦人の「昔の恋人」への恋心が、50年経っても尚燃え上がり、毎日胸が苦しくて耐えられないというのだ。うらやましいほど若々しい。
◆しかし、よく考えてみると、「昔の恋人との思い出」が50年経っても、益々燃え上がることなどあるのだろうか。
◆これもやはり人間の記憶を司る「脳」のなせる技なのだろうか。脳は、またしても、何かいたずらをしているのだろうか。
◆物忘れと記憶の科学 (五日市哲雄著 田中 冨久子監修)では次のように説明していた。
◆にわかに信じられないのだか、私たちの脳で起こっているのは次のようなことだそうだ。保存するつまり、いつまでも記憶に留めておくために、より脚色し、そのために、再構成するというのだ。
◆つまり、記憶に残したいものは、記憶をより美化し、編集するのだ。たとえば、昔あった苦い思い出、例えば言い争いなとの逆の思い出はだんだんと薄れさるのだ。
◆もう一つは物語化である。記憶を編集する上で定着しやすく、容易に記憶を再生させるためには、ストーリー性を持たせることが効果的なのだ。つまり、二人の恋愛物語の方が、脳としては覚えやすい。そして、思い出す頻度が高くなるほど記憶は鮮明になるのだ。たぶん、自分の都合のよい・好きなところだけが…。
◆つまり、「寛齢」のご婦人恋愛物語は、幾度となく再構成された美しい、完璧な物語なのである。ある意味、その方のための、一番お気に入りのドラマなのである。そのために思い出の記憶はその方にとって、何よりもの宝物となるのだ。
◆実際の相談では、やんわりとご婦人にリスクと障害を知らせ、傷をつけることなく優しい導きだった。
◆さて、年老いてからの恋愛は、老いらくの恋(おいらくのこい)ともいわれる。その語源は、昭和23年(1948)、68歳の歌人川田順が弟子と恋愛、家出。「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」と詠んだことから生まれた語だそうだ。
◆川田順は、東京帝国大学では当初文科(文学部)に所属し小泉八雲の薫陶を受けた。なんと、小泉八雲の退任を受け「ヘルン先生のいない文科に学ぶことはない」と法科(法学部)に転科したという。なお八雲の後任教授は夏目漱石であり、後年この逸話の真偽を尋ねられて認めたうえで、「夏目なんて、あんなもん問題になりゃしない」と述べたそうだなど、興味深い逸話もたくさんお持ちの人だ。「老いらくの恋」は命がけの恋だった。実際、川田順は妻の墓前で自死を図っている…。
◆お相手のお弟子さんは、大学教授の奥様。のちに、二人は結婚した。
◆「寛齢」の恋は、いつまでも甘く、ちょっぴり切なく、「老いらく」の恋は激しく身をも焦がすようだ。
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコと一筆付箋写経。
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」といつでも清々しく保つための術「付箋写経」の輪橋山徒然話でした。
一筆写経の進め→https://bit.ly/3lSfv0M
◆「もう一度昔別れた恋人に会いたい」という相談をなされていた「寛齢」のご婦人は、もう70歳はいくつも超えているという。そして、ご婦人には、旦那さまも息子さんもいらっしゃるそうだ。「寛齢」のご婦人の「昔の恋人」への恋心が、50年経っても尚燃え上がり、毎日胸が苦しくて耐えられないというのだ。うらやましいほど若々しい。
◆しかし、よく考えてみると、「昔の恋人との思い出」が50年経っても、益々燃え上がることなどあるのだろうか。
◆これもやはり人間の記憶を司る「脳」のなせる技なのだろうか。脳は、またしても、何かいたずらをしているのだろうか。
◆物忘れと記憶の科学 (五日市哲雄著 田中 冨久子監修)では次のように説明していた。
◆にわかに信じられないのだか、私たちの脳で起こっているのは次のようなことだそうだ。保存するつまり、いつまでも記憶に留めておくために、より脚色し、そのために、再構成するというのだ。
◆つまり、記憶に残したいものは、記憶をより美化し、編集するのだ。たとえば、昔あった苦い思い出、例えば言い争いなとの逆の思い出はだんだんと薄れさるのだ。
◆もう一つは物語化である。記憶を編集する上で定着しやすく、容易に記憶を再生させるためには、ストーリー性を持たせることが効果的なのだ。つまり、二人の恋愛物語の方が、脳としては覚えやすい。そして、思い出す頻度が高くなるほど記憶は鮮明になるのだ。たぶん、自分の都合のよい・好きなところだけが…。
◆つまり、「寛齢」のご婦人恋愛物語は、幾度となく再構成された美しい、完璧な物語なのである。ある意味、その方のための、一番お気に入りのドラマなのである。そのために思い出の記憶はその方にとって、何よりもの宝物となるのだ。
◆実際の相談では、やんわりとご婦人にリスクと障害を知らせ、傷をつけることなく優しい導きだった。
◆さて、年老いてからの恋愛は、老いらくの恋(おいらくのこい)ともいわれる。その語源は、昭和23年(1948)、68歳の歌人川田順が弟子と恋愛、家出。「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」と詠んだことから生まれた語だそうだ。
◆川田順は、東京帝国大学では当初文科(文学部)に所属し小泉八雲の薫陶を受けた。なんと、小泉八雲の退任を受け「ヘルン先生のいない文科に学ぶことはない」と法科(法学部)に転科したという。なお八雲の後任教授は夏目漱石であり、後年この逸話の真偽を尋ねられて認めたうえで、「夏目なんて、あんなもん問題になりゃしない」と述べたそうだなど、興味深い逸話もたくさんお持ちの人だ。「老いらくの恋」は命がけの恋だった。実際、川田順は妻の墓前で自死を図っている…。
◆お相手のお弟子さんは、大学教授の奥様。のちに、二人は結婚した。
◆「寛齢」の恋は、いつまでも甘く、ちょっぴり切なく、「老いらく」の恋は激しく身をも焦がすようだ。
今日も深呼吸と合掌とオンニコニコと一筆付箋写経。
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」といつでも清々しく保つための術「付箋写経」の輪橋山徒然話でした。
一筆写経の進め→https://bit.ly/3lSfv0M
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