耕田院の日常(143回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2022年12月24日(土)
◆コロナ禍、北の国の争い。防衛費もなんの議論もなく唐突に1兆円も増税だとか。
◆先日リールにPostした茨木のり子さんの詩を子どもたちにどう教えたらよいのだろう。
わたしが一番きれいだったとき
茨木のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
◆茨木のり子さんはこの詩について次のように言っている。(彼女は、上京して、当時は薬学部の学生さんだった。)
◆その頃「ああ、私はいま、はたちなのね」と、しみじみ自分の年齢を意識したことがある。眼が黒々と光を放ち、青葉の照りかえしのせいか鏡の中の顔が、わりあいきれいに見えたことがあって……。けれどその若さは誰からも一顧だに与えられず、みんな生きるか餓死するかの土壇場で、自分のことにせい一杯なのだった。十年も経てから「わたしが一番きれいだったとき」という詩を書いたのも、その時の無念さが残ったのかもしれない。
「はたちが敗戦より」
◆今、我が国は過渡期ある。他国を信頼し、協調した時代から、混沌の時代へ変わろうとしている。言葉をかえれば互いが自らの正義を振りかざす時代への転換だ。他国に信頼される我が国の理想はどこにいったのだろう。
◆過度期とは、物事が移り変わろうとしていく途中の時期のことである。過渡期の「過渡」は、ある状態が新しい状態に変わる途中という意味がある。古いものから新しいものへと移り変わる中間の時期。また、物事が確立されず、動揺している時期のことをいうのだが、本日の朝刊にあるとおり、防衛費増税。パトリオット配備とあった。急な方向転換にどう対処していいのか。やはり唐突感は否めない。
◆さて、以前P0STした手塚治虫さんの「火の鳥未来編」では、次のように人類は滅亡する。この話は、遥か未来、35世紀以降の物語なのだが、地上は荒廃している。そのため、人間は地下に都市をつくり、電子頭脳(今で言う人工知能AI)の統治のもと暮らしている。しかし、完璧なはずの人類を統治する電子頭脳同士が争いを始めてしまう。
◆核爆弾が飛び交い人類は滅亡する。『火の鳥』には、人類と地球上の生物が絶滅した後、そこからまた新たな生命が誕生していくようすが描かれている。
◆今の世界の緊張感の中では、35世紀までもちそうもないと思うのは私だけではないだろう。
◆茨木のり子さんの詩を子どもたちにどう教えたらよいのだろう。
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
◆先日リールにPostした茨木のり子さんの詩を子どもたちにどう教えたらよいのだろう。
わたしが一番きれいだったとき
茨木のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
◆茨木のり子さんはこの詩について次のように言っている。(彼女は、上京して、当時は薬学部の学生さんだった。)
◆その頃「ああ、私はいま、はたちなのね」と、しみじみ自分の年齢を意識したことがある。眼が黒々と光を放ち、青葉の照りかえしのせいか鏡の中の顔が、わりあいきれいに見えたことがあって……。けれどその若さは誰からも一顧だに与えられず、みんな生きるか餓死するかの土壇場で、自分のことにせい一杯なのだった。十年も経てから「わたしが一番きれいだったとき」という詩を書いたのも、その時の無念さが残ったのかもしれない。
「はたちが敗戦より」
◆今、我が国は過渡期ある。他国を信頼し、協調した時代から、混沌の時代へ変わろうとしている。言葉をかえれば互いが自らの正義を振りかざす時代への転換だ。他国に信頼される我が国の理想はどこにいったのだろう。
◆過度期とは、物事が移り変わろうとしていく途中の時期のことである。過渡期の「過渡」は、ある状態が新しい状態に変わる途中という意味がある。古いものから新しいものへと移り変わる中間の時期。また、物事が確立されず、動揺している時期のことをいうのだが、本日の朝刊にあるとおり、防衛費増税。パトリオット配備とあった。急な方向転換にどう対処していいのか。やはり唐突感は否めない。
◆さて、以前P0STした手塚治虫さんの「火の鳥未来編」では、次のように人類は滅亡する。この話は、遥か未来、35世紀以降の物語なのだが、地上は荒廃している。そのため、人間は地下に都市をつくり、電子頭脳(今で言う人工知能AI)の統治のもと暮らしている。しかし、完璧なはずの人類を統治する電子頭脳同士が争いを始めてしまう。
◆核爆弾が飛び交い人類は滅亡する。『火の鳥』には、人類と地球上の生物が絶滅した後、そこからまた新たな生命が誕生していくようすが描かれている。
◆今の世界の緊張感の中では、35世紀までもちそうもないと思うのは私だけではないだろう。
◆茨木のり子さんの詩を子どもたちにどう教えたらよいのだろう。
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。