耕田院の日常(99回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2022年11月07日(月)
◆今日より11月。山岳道路の蔵王エコーラインも鳥海山ブルーラインも11月4日より閉鎖という時期であるのに関わらず、天気がよく、風もない。月山方面で新蕎麦でもたぐろうと家人とで出かけた。しかし、お目当ての店はなぜか休業日。そこから、それじゃあ離れた旧道の村にある注蓮寺(ちゅうれんじ)様をお参りしようということになった。
◆残念ながらこのお寺も「休業中」の案内が立ててあった。
◆昔はよく遠足にここまで登ってきたものだ。山の懐(ふところ)に抱かれた絶好のロケーションである。
◆ここ注蓮寺は、引法大師が湯殿山を開山した折、お堂を建て、諸人の祈祷(きとう)所にしたのが開創と伝えられている歴史ある寺で、森敦(もりあつし)の小説「月山」(芥川賞受賞作)の舞台としても知られている。鉄門海上人の即身仏が安置されており、境内には森敦文学碑がある。
◆ダム建設現場などで「10年働いては10年自由な放浪をする」といった憧れの生活を繰り返えす放浪の作家・森敦の独特な死生観、人生観が語られる。さて、「月山」は次のように始まる。
長く庄内平野を転々としながらも 私はその裏というべき肘折(ひじおり)の渓谷(けいこく)に分け入るまで、月山がなぜ月の山と呼ばれるかは知りませんでした。
◆丁度、森敦さんも今頃の季節に訪れたのだろうか。雪にこの地域が閉ざされ、風が吹き荒び、紅葉を終わらせる時が来るのはもう何日か後のようだ。今日は、ススキ、紅葉、菊が盛りだが、夜の予報は雨だという。何かの拍子に、一気に冬へ突入しそうな気配がする午後だ。
◆月山は、語り手の「わたし」が雪に閉ざされたここ注蓮寺でひと冬を過ごすのだが、この寺守のモリじいはぶっきらぼうの人物であり、村人も嘘かマコトともつかない話を始める。印象深いのは「即神仏」の話なのだが…。象徴的なのは「眉(まゆ)の蚊帳(かや)」だ。「わたし」は吹きさらしの冬の寒さに耐えかねて、納戸にあった葭簀(よしず)のひもと角材とに和紙を貼りあわせて八畳いっぱいの蚊帳をつくり、それに電球を引きいれ寒さをしのいだのだ。母の胎内にいるような繭の蚊帳だ。そしてカメムシ。
◆春になり、浦島太郎のような、千と千尋の神隠しのような物語は次のよう唐突に終わる。
やがて春になり、迎えにきた友人とともに下界に戻る決心をした僕に、「寺のじさま」は「もう、くることあんめいさけ、よう見てやってくれちゃ」と言った。「寺のじさま」を無視してじゃあ、このあたりで失礼しますかね。十王峠の送電線の柱もすぐそこにあるようだから、あれで登ればなかなかなんだろう 地図でも相当の標高があったようだからと友だちは言う。
◆「はっ」とした。まさに、今を予言のような文章である。森敦がここに逗留したのは1951年と聞いている。私が生まれる十年前だ。
◆今、注蓮寺から見下ろすと国道112号と、山と山の間を高架橋でつなぐ高速道路が見える。バブルの頃に、国道112号沿いに、スキー場ができた。そこには、いくつものリフトとコース。ナイター設備、宿泊施設とスキー学校を持ち、「私をスキーに連れてって」流行った30、40年前の全盛期はすごく賑やかだった。教員に成り立ての私も、先輩に連れられて毎晩のように通った。しかし、現在は…。70年前にすでにこの閉塞したこの状況を見通していたかのようだ。
◆残念ながらこのお寺も「休業中」の案内が立ててあった。
◆昔はよく遠足にここまで登ってきたものだ。山の懐(ふところ)に抱かれた絶好のロケーションである。
◆ここ注蓮寺は、引法大師が湯殿山を開山した折、お堂を建て、諸人の祈祷(きとう)所にしたのが開創と伝えられている歴史ある寺で、森敦(もりあつし)の小説「月山」(芥川賞受賞作)の舞台としても知られている。鉄門海上人の即身仏が安置されており、境内には森敦文学碑がある。
◆ダム建設現場などで「10年働いては10年自由な放浪をする」といった憧れの生活を繰り返えす放浪の作家・森敦の独特な死生観、人生観が語られる。さて、「月山」は次のように始まる。
長く庄内平野を転々としながらも 私はその裏というべき肘折(ひじおり)の渓谷(けいこく)に分け入るまで、月山がなぜ月の山と呼ばれるかは知りませんでした。
◆丁度、森敦さんも今頃の季節に訪れたのだろうか。雪にこの地域が閉ざされ、風が吹き荒び、紅葉を終わらせる時が来るのはもう何日か後のようだ。今日は、ススキ、紅葉、菊が盛りだが、夜の予報は雨だという。何かの拍子に、一気に冬へ突入しそうな気配がする午後だ。
◆月山は、語り手の「わたし」が雪に閉ざされたここ注蓮寺でひと冬を過ごすのだが、この寺守のモリじいはぶっきらぼうの人物であり、村人も嘘かマコトともつかない話を始める。印象深いのは「即神仏」の話なのだが…。象徴的なのは「眉(まゆ)の蚊帳(かや)」だ。「わたし」は吹きさらしの冬の寒さに耐えかねて、納戸にあった葭簀(よしず)のひもと角材とに和紙を貼りあわせて八畳いっぱいの蚊帳をつくり、それに電球を引きいれ寒さをしのいだのだ。母の胎内にいるような繭の蚊帳だ。そしてカメムシ。
◆春になり、浦島太郎のような、千と千尋の神隠しのような物語は次のよう唐突に終わる。
やがて春になり、迎えにきた友人とともに下界に戻る決心をした僕に、「寺のじさま」は「もう、くることあんめいさけ、よう見てやってくれちゃ」と言った。「寺のじさま」を無視してじゃあ、このあたりで失礼しますかね。十王峠の送電線の柱もすぐそこにあるようだから、あれで登ればなかなかなんだろう 地図でも相当の標高があったようだからと友だちは言う。
◆「はっ」とした。まさに、今を予言のような文章である。森敦がここに逗留したのは1951年と聞いている。私が生まれる十年前だ。
◆今、注蓮寺から見下ろすと国道112号と、山と山の間を高架橋でつなぐ高速道路が見える。バブルの頃に、国道112号沿いに、スキー場ができた。そこには、いくつものリフトとコース。ナイター設備、宿泊施設とスキー学校を持ち、「私をスキーに連れてって」流行った30、40年前の全盛期はすごく賑やかだった。教員に成り立ての私も、先輩に連れられて毎晩のように通った。しかし、現在は…。70年前にすでにこの閉塞したこの状況を見通していたかのようだ。
すてき
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