耕田院の日常(93回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2022年11月01日(火)
以前の投稿で、「省略する」と「割愛する」の違いについて書いた。
◆「省略する」は「簡単にするために一部を取り除くこと」で不要な部分を省く行為のみを指す。「割愛する」は,本来,惜しいと思っているものを,「思い切って捨てたり、無くしてしまうこと」を言う。そして、「割愛する」は、元々は仏教の用語で,例えば「出家」する時、家人や物事に全てへの愛着の気持ちを断ち切ることを言うのだ。「割愛する」は本来有難いことばなのだが、誤った使い方が定着している。困ったものだと書いた。本日ももはや日常に誤用漢字として定着してしまったものを取り上げたい。
◆10月下旬といえば、小学校では学芸会の季節だ。6学年のうちどこかの学年で取り上げられるのが「勧善懲悪の時代劇」だ。農村部の学校だと、年貢の取り立ての厳しい悪代官とそれを横流しする悪徳商人という構図は鉄板ネタである。もちろん御老公も登場して…。
◆越後屋(悪徳商人)を演じるのは「学年一番の芸達者」。少しぽっちゃりしているとなおよろしい。悪代官は金ピカの衣装が似合い、よく通る声を持ち、「腹からの高笑い」ができなければならない。
さて、こんなセリフだ。
越後屋「お代官様、いつもありがとうございます。」(モミ手をして)
手土産の菓子折りを差し出す。
この菓子箱、なかなか重
い。(よっこいしょ)
悪代官「越後屋、お前もなかなか姑息なやつじゃのう。」
代官はニッコリ笑う
◆さて、どの漢字がおかしいのだろう。それは、「✖️姑息」である。ここでは、姑息を「人に対して卑怯」、または「ずる賢いこと」というふうに使っているが本来の意味は違う。
◆「姑息」の意味の本来の意味は「一時的な」「急場しのぎの」「間に合わせ」の手段や方法のことである。しかし、一般的な理解としては、「姑息」という言葉は「卑怯な」「こせこせした」さまを表現する言葉として用いられることが多い。これが誤用なのである。
◆姑息の「姑」の字は(「しゅうとめ」とも読むが)しばらく、とりあえず、といった字義がある。姑息の「息」には(「呼吸」の意味の他に)止む、止める、といった字義もある。つまり「姑息」は、(根本的な解決の代わりに行われる)一時的な間に合わせの対処のことである。
※またこのような使い方がある。
姑息的治療…病気の元を取り除く「根治治療」に対して、根治以外のすべての医療行為を指す言葉。
◆なぜ、このような誤用が始まったのだろう。
◆それは、お前も生意気、腹立たしい様を表現する「小癪(こしゃく)」との混同が原因だという。「✖️姑息」ではなく、一心一体の悪徳代官と商人だから「なかなかやるのう」という気持ちも込めて「小癪なやつじゃのう」と本来すべきなのである。
◆「姑息」を「小癪」よりも、このセリフはダイレクトに「越後屋、おまえもなかなか悪じゃのう」「ホッホッホッ」方によさそうだ。
そして劇は
悪代官「しっ」
「そこにいるのは誰じゃ」
曲 者「ミャーァ」
悪代官「なんじゃ、猫か」と続く。
◉今朝も最後まで読んでいただいてありがとうございます。あなたの朝のこころにアプローチ。心は大山の如し「ああなあさここ」でした。
⭐︎頭を柔らかくなぞなぞ
「まご」と「おじいちゃん」がする運動?。
◆「省略する」は「簡単にするために一部を取り除くこと」で不要な部分を省く行為のみを指す。「割愛する」は,本来,惜しいと思っているものを,「思い切って捨てたり、無くしてしまうこと」を言う。そして、「割愛する」は、元々は仏教の用語で,例えば「出家」する時、家人や物事に全てへの愛着の気持ちを断ち切ることを言うのだ。「割愛する」は本来有難いことばなのだが、誤った使い方が定着している。困ったものだと書いた。本日ももはや日常に誤用漢字として定着してしまったものを取り上げたい。
◆10月下旬といえば、小学校では学芸会の季節だ。6学年のうちどこかの学年で取り上げられるのが「勧善懲悪の時代劇」だ。農村部の学校だと、年貢の取り立ての厳しい悪代官とそれを横流しする悪徳商人という構図は鉄板ネタである。もちろん御老公も登場して…。
◆越後屋(悪徳商人)を演じるのは「学年一番の芸達者」。少しぽっちゃりしているとなおよろしい。悪代官は金ピカの衣装が似合い、よく通る声を持ち、「腹からの高笑い」ができなければならない。
さて、こんなセリフだ。
越後屋「お代官様、いつもありがとうございます。」(モミ手をして)
手土産の菓子折りを差し出す。
この菓子箱、なかなか重
い。(よっこいしょ)
悪代官「越後屋、お前もなかなか姑息なやつじゃのう。」
代官はニッコリ笑う
◆さて、どの漢字がおかしいのだろう。それは、「✖️姑息」である。ここでは、姑息を「人に対して卑怯」、または「ずる賢いこと」というふうに使っているが本来の意味は違う。
◆「姑息」の意味の本来の意味は「一時的な」「急場しのぎの」「間に合わせ」の手段や方法のことである。しかし、一般的な理解としては、「姑息」という言葉は「卑怯な」「こせこせした」さまを表現する言葉として用いられることが多い。これが誤用なのである。
◆姑息の「姑」の字は(「しゅうとめ」とも読むが)しばらく、とりあえず、といった字義がある。姑息の「息」には(「呼吸」の意味の他に)止む、止める、といった字義もある。つまり「姑息」は、(根本的な解決の代わりに行われる)一時的な間に合わせの対処のことである。
※またこのような使い方がある。
姑息的治療…病気の元を取り除く「根治治療」に対して、根治以外のすべての医療行為を指す言葉。
◆なぜ、このような誤用が始まったのだろう。
◆それは、お前も生意気、腹立たしい様を表現する「小癪(こしゃく)」との混同が原因だという。「✖️姑息」ではなく、一心一体の悪徳代官と商人だから「なかなかやるのう」という気持ちも込めて「小癪なやつじゃのう」と本来すべきなのである。
◆「姑息」を「小癪」よりも、このセリフはダイレクトに「越後屋、おまえもなかなか悪じゃのう」「ホッホッホッ」方によさそうだ。
そして劇は
悪代官「しっ」
「そこにいるのは誰じゃ」
曲 者「ミャーァ」
悪代官「なんじゃ、猫か」と続く。
◉今朝も最後まで読んでいただいてありがとうございます。あなたの朝のこころにアプローチ。心は大山の如し「ああなあさここ」でした。
⭐︎頭を柔らかくなぞなぞ
「まご」と「おじいちゃん」がする運動?。
すてき
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