耕田院の日常(69回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2022年10月08日(土)
◆映画にもなっている「ペコロスの母に会いに行く」。ずっと前から気になっていた。アニメの第一話が公開されていた。
◆認知症の母との介護と絆を描いた「ペコロスの母に会いに行く(2019年5月~ 7月NBC長崎放送で放送)」というアニメだ。描かれているのは、グループホームに入所している母との長男との何気ない日常だ。
◆作者は、ペコロス・岡野(雄一)さん。長崎で暮らす団塊世代の親父というのが本人の自己紹介。
◆それにしても、不思議なペンネームである。
◆「ペコロス」は、直径3〜4cm位のミニ玉ねぎ。コロンとしてかわいいペコロスは、普通の玉ねぎよりも甘く、そのまま丸ごと料理をするのがおすすめの野菜なのだそうだが…。
◆3分のアニメであるが、第一話をみて「ペコロス」の理由(クスクス)と作者の言う、「僕らの毎日、豊潤な時間(ひととき)」が垣間見える。愛おしく、ホロリ、切なく、それでもほっこりする。
◆アニメの冒頭で、グループホームに訪れた息子を見て、子どものように怖がって泣き出す車椅子の母みつえさん。認知症が、かなり進んでいる様子だ。
「岡野さん、息子さんがこられましたよ。」
「悪もの…」と泣き出す母
「母ちゃん、息子もわからなくなったんか」
「ほら」(帽子をとってツルツル頭を見せる →なるほどペコロス頭 )
「なんじゃ、雄一や」
「そうや」
「いつの間にそんなに立派にハゲたとや」
そして、部屋に戻ると母は「ようハゲて」と息子の頭に手をやる。
「さっき、父ちゃんが訪ねてきたとや」
略
「苦労ばかけたと謝りよかしたばい」
呆けてしまった母ちゃんの中では、父ちゃんはまだ生きているらしい。
◆「少しずつ大切なことを忘れていく母」みつえさんには、あの世とこの世の境がなくなっている。だから、この世とあの世を自由に行き来するし、先だった父ちゃんも訪ねてくる。みつえさんは幸せに今を生きているのだ。
◆認知症は人ごとではないし、現場や家族には外見からはわからないご苦労があるはずだ。そのご苦労の質も介護されるお年寄りそれぞれであろう。まして、コロナ禍での制限が介護の現場に及ぼした影響は計り知れない。今まで積み上げてきたスキルもそのままでは通用しないとも聞く。コロナ後、これから介護の現場もあらためて再構築されていくのだろう。
◆それにしても、長崎弁はなんと柔らかい言葉なのだろう。並大抵ではない介護のご苦労や辛さを長崎弁とユーモアで包んで究極の癒しにしてしまっている。私の住む庄内の方言に共通するイントネーションにも癒される。
◆さて、「ペコロスの母に会いに行く」で「ペコロスが母に会いに行く」ではない。作者の願いは、もう一度赫々各々の「あなたのペコロスの母」に会いにいき、そこで、各々の「母」を「その人生」を抱きしめてほしいという意味もありそうだ。
◆認知症の母との介護と絆を描いた「ペコロスの母に会いに行く(2019年5月~ 7月NBC長崎放送で放送)」というアニメだ。描かれているのは、グループホームに入所している母との長男との何気ない日常だ。
◆作者は、ペコロス・岡野(雄一)さん。長崎で暮らす団塊世代の親父というのが本人の自己紹介。
◆それにしても、不思議なペンネームである。
◆「ペコロス」は、直径3〜4cm位のミニ玉ねぎ。コロンとしてかわいいペコロスは、普通の玉ねぎよりも甘く、そのまま丸ごと料理をするのがおすすめの野菜なのだそうだが…。
◆3分のアニメであるが、第一話をみて「ペコロス」の理由(クスクス)と作者の言う、「僕らの毎日、豊潤な時間(ひととき)」が垣間見える。愛おしく、ホロリ、切なく、それでもほっこりする。
◆アニメの冒頭で、グループホームに訪れた息子を見て、子どものように怖がって泣き出す車椅子の母みつえさん。認知症が、かなり進んでいる様子だ。
「岡野さん、息子さんがこられましたよ。」
「悪もの…」と泣き出す母
「母ちゃん、息子もわからなくなったんか」
「ほら」(帽子をとってツルツル頭を見せる →なるほどペコロス頭 )
「なんじゃ、雄一や」
「そうや」
「いつの間にそんなに立派にハゲたとや」
そして、部屋に戻ると母は「ようハゲて」と息子の頭に手をやる。
「さっき、父ちゃんが訪ねてきたとや」
略
「苦労ばかけたと謝りよかしたばい」
呆けてしまった母ちゃんの中では、父ちゃんはまだ生きているらしい。
◆「少しずつ大切なことを忘れていく母」みつえさんには、あの世とこの世の境がなくなっている。だから、この世とあの世を自由に行き来するし、先だった父ちゃんも訪ねてくる。みつえさんは幸せに今を生きているのだ。
◆認知症は人ごとではないし、現場や家族には外見からはわからないご苦労があるはずだ。そのご苦労の質も介護されるお年寄りそれぞれであろう。まして、コロナ禍での制限が介護の現場に及ぼした影響は計り知れない。今まで積み上げてきたスキルもそのままでは通用しないとも聞く。コロナ後、これから介護の現場もあらためて再構築されていくのだろう。
◆それにしても、長崎弁はなんと柔らかい言葉なのだろう。並大抵ではない介護のご苦労や辛さを長崎弁とユーモアで包んで究極の癒しにしてしまっている。私の住む庄内の方言に共通するイントネーションにも癒される。
◆さて、「ペコロスの母に会いに行く」で「ペコロスが母に会いに行く」ではない。作者の願いは、もう一度赫々各々の「あなたのペコロスの母」に会いにいき、そこで、各々の「母」を「その人生」を抱きしめてほしいという意味もありそうだ。
すてき
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