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耕田院の日常(63回目)山形県羽前大山駅

「名人伝」を読もう④ 2022.9.19朝4時半住職の話 

投稿日:2022年10月02日(日)
◆「ヨーダの如き甘蠅老師」の元で九年間の修行を終えた紀昌は、いかなる変貌を遂げたのであろうか。

◆都に帰った紀昌は、かつての精悍な面魂しいは影をひそめ、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変っていという。

◆飛衛(最初の師匠)は、この顔つきを一見すると感嘆して叫んだ。

「これでこそ初めて天下の名人だ。我らのごとき、足下にも及ぶものでない」と。

◆師匠・飛衛に「天下の名人」のお墨付きを得た紀昌に、都の人々は「神技の披露」を期待したが、紀昌は懶(ものう)げに言ったという。

「至為(しい)は為(なす)無く、至言は言を去り、至射は射ることなしと。」

「最高の行いは、その行いをなさないことにある。最高の言葉は、沈黙にある。そのよう最高の射術は射ることにはない」という意味だ。紀昌は最高の技術とともに、禅にも「不立文字」という言葉がある通り、高い精神性をも完成させた証拠だ。

◆こうして、都で修行から帰ってきた紀昌は、「弓をとらない弓の名人」として都の人々の誇りになる。夜な夜な雲の上で古の達人と腕比をしているとか、渡鳥が紀昌の家を避けて飛ぶなどの噂が一人歩きするだけだった。ただ、一つの驚愕のエビソードを残して。

◆そのエピソードは次のような話だ。

都に帰ってきてもう少しで40年にもなるある日、老紀昌は知人に招かれた。そして、その家で一つの器具を見た。老紀昌には、確かに見憶えのある道具だが、名前が思い出だせず、その用途も思い当らない。そこで、老紀昌はその家の主人にたずねた。

「それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのか」と。

主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。

老紀昌が、真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮うかべて、客の心をはかりかねた様子だ。三度、老紀昌が真面目な顔をして同じ問いを繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼をじっと見詰め、相手が冗談をではなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、叫んだ。

「ああ、老紀昌が、――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」

◆その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠かくし、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。    完

◆さて「名人伝」のテーマは何だろう。まず言えるのは、いろいろ考えられる「オープン・エンド・アプローチ」のお話だということである。答えが一つではないのだ。

例えば、
「全ての試練を愚直に、一つ一つ受け入れ、修行に向かった紀昌の素晴らしさと到達した境地」

「実践的にも精神的にも最高の境地に立ったと思われる紀昌は、その後、何を成したのかという批判」

「実際に見てもいないものを何十年も信じる大衆の愚かさ」

と様々考えられそうだ。皆さまはどう考えるだろうか。

※四日間もお付き合いいただいてありがとうございました。

◆そして皆さま。「名人伝」と検索されると、青空文庫で、原作を読むことができますよ。更に有難いことに「朗読」多数公開されています。だいたい20分ぐらいです。聴き比べもおもしろかったです。是非。
耕田院(山形県)

すてき

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