耕田院の日常(62回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2022年10月01日(土)
※写真は海岸を走る国道7号線。このようにしてあちこち岩盤が補修・補強してある。この少し上を羽越本線、更にその上が「トンネルばかりの高速道路」が走っている。
◆天下一の弓の名人になるための「良からぬ考え」とはわかったろうか。答えは、「師匠のと自分」どちらが強いか確かめたくなってしまったのだ。「天下第一の名人となるためには、どうあっても師匠を除かねばならぬと」そして、弟子は師匠をつけ狙い始める。
◆師匠と弟子の対決は 「一人歩み来る飛衛に出遇う」ことで開始された。二人の戦いは「二人互に射れば、矢はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた」という。丁度真ん中で2人の矢が当たり、地に落ちる。何度試みても同じだ。互角の勝負だ。だが、最後の最後である。師匠の矢が尽つきた時、弟子は「一矢を余していた」のだ。
◆しかしながら、さすがは師匠。射られた矢をとっさにの野茨を折り、棘の先を持って叩き落としたという。この勝負は、両人の技がいずれも「神の領域」に入っていたことを証明した。二人は互いにかけよると、野原の真中に相抱て、しばし師弟愛の涙なみだにかきくれた。
◆師匠は、また弟子がよからぬことを考えないように次のようにいう。
「西の方の霍山(かくざん)の頂に甘蠅(かんよう)老師という斯道の大家がいると」
新しい師匠を紹介したのだ。
◆甘蠅老師は、山に住む仙人、「ヨーダ」(スターウォーズ)を想像してほしい。そして、甘蠅老師は紀昌の腕前を見ると言った。
「一通り出来るようじゃな」
「しかし、所詮射之射と不射之を知らぬと見える」
「射というものをお目にかけようか」
◆「不射之」新しいテーマである。「不射之」とはいかなるものなのであろうか。
紀昌はすぐに気が付いて言った。
「しかし、弓はどうなさる?弓は?」
老人は素手だったのである。
「弓?」
と老人は笑う。
「弓矢の要いる中はまだ射之射じゃ。」「不射之射には、烏漆の弓も粛慎の矢もいらぬ。」
その時、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画がいていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅老師は、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放ったのだ。すると鳶は、羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来きたのだ
◆この時の紀昌は「今にして始めて芸道の深い淵を覗いたような気がした」と。
◆こうして、紀昌は甘蠅老師の元で九年修行をすることになる。
◆さて、次回は「不射之」を会得した紀昌が都に帰ってくる。 (続く)
すてき
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