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耕田院の日常(48回目)山形県羽前大山駅

「月愛三昧」2022.9.11朝4時半の住職の話 

投稿日:2022年09月18日(日)
◆今年は、中秋の名月を拝むことができた。今夜の月、おっとりと心休まる光だ。

月今宵こゝろ浄土に遊ぶべし 名和三幹竹  

◆山形県河北町の出身、名和三幹竹(なわ さんかんちく)の句だ。

◆もう秋彼岸も近い「月今宵」(つきこよい)は中秋の名月のことだ。極楽浄土は西方にあるとされ、彼岸前のこの時期の日没は、真西を指す。そして、反転すれば真東に月が登る。昼夜の主役の交代の「宵」である。月が極楽浄土に沈むまで、一晩中浄土を想い、念じ、心を遊ばせるという句の意味なのだろうか。

◆そしてもう一句。

月見して如来の月光三昧や  松瀬青々 (まつせ せいせい)

正岡子規に「大阪に青々あり」と賞賛を受けた、明治-昭和時代前期の俳人松瀬青々の代表作である。

◆お日さまと違い、じっくり愛でることのできる月は、私どもにとって格別なものだ。そして、月輪のたおやかさ、その清浄な輝きは、本来我々に備わっている「仏性」そのものだいう教えもある。つまり、名月を愛でるということは、日頃、煩悩に隠されて、なかなか気付けない、本来の自己の「仏性」を自覚することでもあるのだ。

◆また、中秋の名月には、「月愛三昧(がつあいざんまい)」という言葉が文脈にある。「月愛三昧」とは、お釈尊さまが、悪逆非道の阿闍世(あじゃせ)王の身心の苦悩から導くために入られた三昧のことだ。

◆清らかな月の光が青蓮華を開花させ、夜道を行く人を照らし歓喜を与えるように、お釈尊さまが、三昧に入るとき「慈悲の光」があらゆるものに降り注いだことをいう。悪逆非道の阿闍世を救い、迷う衆生の煩悩を除いて「仏性」を目覚めさせて「善心」の花を咲かす。そして、さとりの道を求める行者には、正しい道を指し示すのだ。「教行信証」信巻にも「かくのごとき瑞相は、即ちこれ、如来、月愛三昧に入りて放つところの光明なり」と記されている。

◆まさに、今夜は残暑厳しき1日の昼間の暑さから解放され、虫の音だけが心地よく、風もなく月の光の清涼さが際立っている。「如来の月光三昧」の夜だ。このあたりでは「芋名月」という風習がある。今年は家人が留守でお供えはできなかったが、母は南中庭の社にもお供えをしていた。お供えはいつも近所にあった豆腐屋さんの「厚あげ」だった。

◆とっておきの芋焼酎・晴耕雨讀の水割りを片手に、一人月を眺める夜が始まる。
耕田院(山形県)

すてき

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