耕田院の日常(38回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2022年09月08日(木)
◆やはりギャンブルだったのか。
◆山口県阿武町の4630万円行方が判明したという。しかも、「オンラインカジノで使った」「短期間で敗北?」の報道だ。負けたということは、「ギャンブラーの誤謬(ごびゅう)」にやられてしまったのだろう。
◆「ギャンブラーの誤謬」とは、ある事象の発生頻度が特定の期間中に高かった場合に、その後の試行におけるその事象の発生確率が低くなると信じてしまうことである。認知バイアスである。
◆簡単にいうと、コイントスをして「表」が3回続けて出たとする。その時、次はさすがに「裏」になるだろうと考える心理のことをいう。しかし、小学校6年生で学習したように、「表」と「裏」の確率は常に1/2。一度コイントスをする度に1/2なのである。だから、3回連続して「表」が出たとしても、4回目で「表」が出る確率は1/2なのである。5回目でも1/2なのである。
◆「ギャンブラーの誤謬」で有名なのは「モンテカルロカジノでの奇跡」である。
◆この奇跡は、1913年8月18日にモンテカルロカジノでのルーレットゲームで発生した。「26回連続」でボールが黒に入ったのである。ご存じのようにルーレットは、「黒」「赤」の確率はそれぞれ18/37ある。つまり、コイントスで26回表が出たのと同じようなことなのである。
◆ルーレットに偏りがないと仮定すると、ルーレットで26回連続してボールが同じ色(赤または黒)に入る確率は、 (18/37)26-1、すなわち6660万回に1回であるそうだ。これはやはり奇跡であろう。しかし、一回一回の確率は18/37、およそ1/2なのである。
◆人間とは愚かである。「モンテカルロカジノでのルーレットがランダム性の不均衡を引き起こしており、その後には赤が連続して出るはずだ」と考え、「もうそろそろ赤がくるだろう」「いや赤がこなければおかしい」と推論し、「赤」に賭けたギャンブラーは、全て失ったという。今回の「オンラインカジノ」でも同じようなことがあったのだろうか。
◆そもそも、仮想空間でのやりとりに「何らかの偏り」がないことは、どのようにして説明され、信じたのだろうか。人間とはつくづく愚かである。
◆山口県阿武町の4630万円行方が判明したという。しかも、「オンラインカジノで使った」「短期間で敗北?」の報道だ。負けたということは、「ギャンブラーの誤謬(ごびゅう)」にやられてしまったのだろう。
◆「ギャンブラーの誤謬」とは、ある事象の発生頻度が特定の期間中に高かった場合に、その後の試行におけるその事象の発生確率が低くなると信じてしまうことである。認知バイアスである。
◆簡単にいうと、コイントスをして「表」が3回続けて出たとする。その時、次はさすがに「裏」になるだろうと考える心理のことをいう。しかし、小学校6年生で学習したように、「表」と「裏」の確率は常に1/2。一度コイントスをする度に1/2なのである。だから、3回連続して「表」が出たとしても、4回目で「表」が出る確率は1/2なのである。5回目でも1/2なのである。
◆「ギャンブラーの誤謬」で有名なのは「モンテカルロカジノでの奇跡」である。
◆この奇跡は、1913年8月18日にモンテカルロカジノでのルーレットゲームで発生した。「26回連続」でボールが黒に入ったのである。ご存じのようにルーレットは、「黒」「赤」の確率はそれぞれ18/37ある。つまり、コイントスで26回表が出たのと同じようなことなのである。
◆ルーレットに偏りがないと仮定すると、ルーレットで26回連続してボールが同じ色(赤または黒)に入る確率は、 (18/37)26-1、すなわち6660万回に1回であるそうだ。これはやはり奇跡であろう。しかし、一回一回の確率は18/37、およそ1/2なのである。
◆人間とは愚かである。「モンテカルロカジノでのルーレットがランダム性の不均衡を引き起こしており、その後には赤が連続して出るはずだ」と考え、「もうそろそろ赤がくるだろう」「いや赤がこなければおかしい」と推論し、「赤」に賭けたギャンブラーは、全て失ったという。今回の「オンラインカジノ」でも同じようなことがあったのだろうか。
◆そもそも、仮想空間でのやりとりに「何らかの偏り」がないことは、どのようにして説明され、信じたのだろうか。人間とはつくづく愚かである。
すてき
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