耕田院の日常(34回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2022年09月04日(日)
◆昭和の歌である。
SACHIKO ばんばひろふみ
幸せを数えたら 片手にさえ余る
不幸せ 数えたら 両手でも足りない
いくら心が 綺麗でも
醜いアヒルの子では嫌だと
泣いた夜 さえ
いつの日か笑い話に なるものさ
SACHIKO 思い通りに
SACHIKO 生きてごらん
それが悲しい恋でもいい 笑い方も
忘れた時は思い出すまで
そばにいるよ
◆1979年9月の発売だという。昭和54年のことだ。ということは高校3年生の秋。調べてみるとこの年は
「コンピューター・ゲームの先駆けインベーダーゲーム(1回100円)が大流行」
「SONY ウォークマンが行動派の若者に爆発的な人気」
「東北新幹線の走行テストで、時速340キロを記録する」とある。
◆「インベーダーゲーム」といえば喫茶店のテーブルゲーム。「ブロック崩し」のうちはよかったが、インベーダーになると戦略が必要になる。YouTubeの攻略チャンネルがない時代はとにかく、勘と記憶と100円玉と友だちの教えが全てだった。随分「お勉強」させてもらった。
◆そして、喫茶店、テーブルゲームといえば「麻雀」。高校の同級生で、席が右斜め前 (3年間、出席番号で並んだきり、一度も席替えすらしなかった)で、数年後、二人とも教員になり、たまたま初任校で同じで、独身時代、毎日、毎日一緒に遊んでいた水泳部のK先生。そう、彼は一昨年急に逝ってしまった。今頃の季節だ。
◆「SONY ウォークマンが行動派の若者に爆発的な人気」。それまでは、デカイ、ラジカセ。でも、ここからはヘッドフォンだ。私は行動派の若者ではなかったが、しばらくしてから、赤のAIWAを買った。でも、やっぱり、青のSONYが欲しかった。
◆あとは、「新幹線」。以前は大好きなビュフェがあり。生ビールが飲めた。そこには速度計が設置されていた。速度200㎞❓超えだと生ビールが一番美味いと評判になり、友だちと試しに乗った。妙に興奮した。おもしろかった。もちろん立ち飲みだ。
◆そして、「SACHIKO」。この歌が流行った頃は、みんな「自分にないものを数えていた時代」だった。自分にないもの、自分に足りないものを見つけて、それを掴むことが幸せへの道だと考えていた。つまり、結果と努力が全てだと。だから、歳上の恋人のため、年に一度の宅建の試験を受け続けていたCさんの歌うSACHIKOに共感したのだ。
◆今思えば時代も私も、周りの友人も皆、若かった。勢いがあった。そこにはいつも物語が生まれた。そして、若者は大切にされ、学校を卒業すると即社会へ旅立つ時代だった。
◆「自分にないものを数え、追い求めていた時代」の郷愁が、私の「SACHIKO」だ。
Instagramアカウトはこちらへ @oyamakodein
SACHIKO ばんばひろふみ
幸せを数えたら 片手にさえ余る
不幸せ 数えたら 両手でも足りない
いくら心が 綺麗でも
醜いアヒルの子では嫌だと
泣いた夜 さえ
いつの日か笑い話に なるものさ
SACHIKO 思い通りに
SACHIKO 生きてごらん
それが悲しい恋でもいい 笑い方も
忘れた時は思い出すまで
そばにいるよ
◆1979年9月の発売だという。昭和54年のことだ。ということは高校3年生の秋。調べてみるとこの年は
「コンピューター・ゲームの先駆けインベーダーゲーム(1回100円)が大流行」
「SONY ウォークマンが行動派の若者に爆発的な人気」
「東北新幹線の走行テストで、時速340キロを記録する」とある。
◆「インベーダーゲーム」といえば喫茶店のテーブルゲーム。「ブロック崩し」のうちはよかったが、インベーダーになると戦略が必要になる。YouTubeの攻略チャンネルがない時代はとにかく、勘と記憶と100円玉と友だちの教えが全てだった。随分「お勉強」させてもらった。
◆そして、喫茶店、テーブルゲームといえば「麻雀」。高校の同級生で、席が右斜め前 (3年間、出席番号で並んだきり、一度も席替えすらしなかった)で、数年後、二人とも教員になり、たまたま初任校で同じで、独身時代、毎日、毎日一緒に遊んでいた水泳部のK先生。そう、彼は一昨年急に逝ってしまった。今頃の季節だ。
◆「SONY ウォークマンが行動派の若者に爆発的な人気」。それまでは、デカイ、ラジカセ。でも、ここからはヘッドフォンだ。私は行動派の若者ではなかったが、しばらくしてから、赤のAIWAを買った。でも、やっぱり、青のSONYが欲しかった。
◆あとは、「新幹線」。以前は大好きなビュフェがあり。生ビールが飲めた。そこには速度計が設置されていた。速度200㎞❓超えだと生ビールが一番美味いと評判になり、友だちと試しに乗った。妙に興奮した。おもしろかった。もちろん立ち飲みだ。
◆そして、「SACHIKO」。この歌が流行った頃は、みんな「自分にないものを数えていた時代」だった。自分にないもの、自分に足りないものを見つけて、それを掴むことが幸せへの道だと考えていた。つまり、結果と努力が全てだと。だから、歳上の恋人のため、年に一度の宅建の試験を受け続けていたCさんの歌うSACHIKOに共感したのだ。
◆今思えば時代も私も、周りの友人も皆、若かった。勢いがあった。そこにはいつも物語が生まれた。そして、若者は大切にされ、学校を卒業すると即社会へ旅立つ時代だった。
◆「自分にないものを数え、追い求めていた時代」の郷愁が、私の「SACHIKO」だ。
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すてき
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