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耕田院の日常(12回目)山形県羽前大山駅

「死装束」 2022/7/18 「朝4時半の住職の話」

投稿日:2022年08月13日(土)
◆作家は、長編小説を一つの作品を作るのに構想も含めて数年かけると聞いた。そして、完成する数年後の世相に遅れないようにしなければならないという。永六輔さんのような文章家も同じであろう。今、手にしている本は、2001年の本である。

◆彼は、たぶん小説家ではない。私的には、作詞家や放送作家、随筆家というより、「職人」だ。そこで敬意を込めて文章家とした。2022年の今、文章家は色褪せるどころか、益々本質をズバリついてくる。

◆今朝は、京都の文化について著作がある大村しげさんの「死装束を自分で縫う」という話だ。(以下▶︎は「おしゃべり文化 会う人はみんな僕の薬 永六輔」より)

▶︎ 亡くなる前のことですが、自分の死に装束、白の羽二重を自分で縫ったことを話してくれました。

▶︎「母もその母もそうしてきました。私もそろそろなので」と 。
足袋まで自分で縫ったそうです。

▶︎そして、「永さん 足袋はな、おおきゅう縫わんとあきまへんえ。死ぬと足、ふくれまんねん」って。

▶︎つまり、これが日本人が自然に持っている自然観、死生観。

◆死装束については、その土地その土地の習いがあるだろう。例えば、故人がこの世への執着を捨てきれないと玉止めはしないとか。返し縫いは「返す」という言葉が縁起悪いとか。「故人がこの世に引き返してくる」「不幸が繰り返す」のだという。また、事前に準備しておくと、死を待っていたとなるので、臨終の後、近所の女性が手分けして縫うとも聞いた事がある。それも一人では縫ってはならないとか。

◆一人で拵えた大村さん。羽二重の死装束の話を次のように結んでいる。

▶︎死に装束を縫っているうちはとても寂しくて辛かったけれど、縫い上げたとき、「生きていることがなんて素敵かと思えた」と。

◆きっと、大村さんは、お母さまやお婆さまと「死装束を作りながら」死を前に同じ気持ちを辿ることができたのであろう。ちょっと言葉は見つからないが「一体感」のようなものであろうか。そして、「生きていることがなんて素敵か」とは、「万事を空と悟りこそ」見えた景色なのである。

◆人は、必ず自分の大切な人と別れて生き、自らも別れて死んでいく定めにある。その定めを教えるのは、やはり、先に逝く人の役目なのである。いざ、後から来るものがその場に立った時、先に習えるということは、なんと心強いことなのだろうと思う。

◆ということはである。私たちも自分の後で「死を迎える親しき者」への「死の迎え方を遺してゆかねばならない」のだ。生をつなぐということは、死をつなぐことでもあるのだ。同じ道を歩く事なのだ。そして、その基盤となるものは、「日々の信仰」なのだと思った。

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耕田院(山形県)

すてき

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