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椙尾神社(すぎのお~)は、山形県鶴岡市馬町にある神社。式内論社で、旧社格は県社。主祭神は事代主神。配祀神は天津羽羽神(あまつはは)、竜田彦神、竜田姫神、月山神、大物忌神。
創建は不詳。社伝によると、欽明年間(540年~571年)の創始と伝わる。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「出羽国 飽海郡 小物忌神社 小」の論社とされ、他の論社としては、小物忌神社(酒田市山楯)、小物忌神社(酒田市飛島)、飛澤神社(酒田市麓)、劔龍神社(飽海郡遊佐町)がある。中世になると鎌倉幕府の御家人で、地頭職だった武藤氏の崇敬社となり、居城である高館山頂の尾浦城(大山城)の鎮守社として篤い庇護を受けた。戦国時代、山形城主・最上氏の庄内侵攻により武藤氏が滅亡すると、1612年に最上義光が社領170石を寄進した。最上氏改易後、庄内藩主・酒井氏も当社を庇護したものの、社領は大きく削減させられた。明治時代に入ると、社号を「小物忌椙尾神社」から「椙尾神社」に改め、郷社、のち県社に列格した。
当社は、JR羽越本線・羽前大山駅の北方2.5kmにあり、庄内平野と日本海の間に衝立のように立つ高館山の東麓にある。住宅の間を抜ける参道を進むと、階段を上がって境内地になり、その背後は山という造り。庄内地方特有の巨大な社殿(拝殿・本殿が一体の形)が広くはない境内地のおおくをしめている。
今回は、出羽国の式内論社、山形県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中、自分たち以外には特に参拝者はいなかった。
辿り着いた場所には、参道の途中のようで、両脇に石燈籠が建っている。
参道を進んで、<二の鳥居>。扁額には<椙尾社>とある。
参道左側にある<手水舎>。瓦屋根の簡素な造り。手水盤には<日露戦争凱旋紀念>とある。水の出口は龍ではなく亀。
参道右側にある祠。石碑には<羽州大守 武藤家御霊殿>とある。鎌倉幕府の御家人で庄内地方を長らく支配した武藤家の御霊殿みたい。
わりと近年整備された感じの整った階段を登って行く。
階段途中の踊り場の両側に<狛犬>?こんな<ゆるキャラ系>の狛犬は見たことがない...(^_^;)
右側の<狛犬>。これぢゃ魔除けにならないような...
階段を登り切ったところからの<本殿>。当社は拝殿と本殿の一体型のようなので、こちらは<本殿>。
<本殿>全景。
本殿前の左側の<狛犬>。先ほどとは大違い。
右側の<狛犬>。これなら魔除けに十分。
<本殿>正面。細やかな彫刻が適度に入っている。<椙尾社>の扁額。
<本殿>の中を覗いてみると、非常にきれいにされている。
本殿の右手の傾斜地にある境内社。扁額や表札がないため、名称不明。
境内社の位置から見た、拝殿前の風景。
境内社の右手少し離れた場所にある<鳥居>。この先に社殿かなにかがありそうだが、草ぼうぼうなのでパス...(^_^;)
上の鳥居の前にある建物。変わった構造をしているが、何の建物だろう?
上の建物の一から見た本社<本殿>。大きく威風堂々としている。さすが旧県社。
本殿側面の壁に掛かっている相撲取りの絵。ネットで調べたが、明治期に活躍した、現鶴岡市出身の<千賀ノ浦(大泉保吉)>のことかな?
参拝を終え、最初の石燈籠の位置に戻る。この先を見ると、もう一つ鳥居があるので、そこが境内入口みたい。
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