ふもんいん
普門院のお参りの記録一覧
息子が泉岳寺の近くにある中学に入ることになった時から、赤穂浪士の本を沢山読んだ。その中でも童門冬二先生の本が一番面白かった。
近くの浄土宗寺院での講演会でも御会いして、大ファンになってしまった。
その童門冬二先生が一押しなのが、江戸時代、米沢藩の経済を建て直すべく奮闘した上杉鷹山なのだ。
上杉 鷹山(うえすぎ ようざん、寛延4年7月20日(1751年9月9日) - 文政5年3月12日(1822年5月3日)は、江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主。山内上杉家25代当主。諱は初め勝興、後に治憲(はるのり)であり、鷹山は藩主隠居後の号であるが、この名で知られる。米沢藩政改革を行った江戸時代の名君として知られる。
さてさて、童門冬二先生の著書を読み、普門院を知った私は数年前からパソコンに普門院のページをブックマークしていた。
山門の茅葺屋根といい、庭のお大師様の像といい、歴史を感じさせる。
上杉鷹山は有名であり、よく知っているが、上杉鷹山の恩師細井平州は、全く知らなかった。
今回は、普門院の住職夫人が対応してくださり、童門冬二先生のお話しなども伺えた。
2019年までは、こちらにも取材や講演会などで来られていたらしい。
コロナ過になり、来られなくなり、葬儀なども変わらざるを得なかった、なんだか大袈裟だったわね。と言われていた。
雪深い米沢。タクシー運転手の話では、山形県で一番の豪雪は米沢市なんだとか。
来月になると簡単には普門院にも来られなくなるそうで、本当に今ここで、日本の政治家全員に希望がない今、普門院にて、上杉鷹山の話を聴けたことは感謝であった。
山門の向こうに観える黄色く色づいた葉が素敵だった。
黄葉や 鷹山想う 米沢よ
偶然とは
すごいもので、普門寺に行こうとしたら普門院と検索してしまい、ナビ的にも距離に違和感なくたどり着いたお寺となりましたが、素敵なお寺です。
本堂が修繕中なのが残念です。
普門院は仁寿3年(853年) 英慶法印が人々の治安と平穏を祈る為に創立されました 現在の場所にお寺が建てられたのは、米沢が伊達家の城下町だったころ、約450年前です。その後、焼失し現在の建物は寛政8年(1796年)に再建されました。
明治時代になるまで米沢から板谷峠を通り福島をぬけていく道が江戸に通じる唯一の街道だったので、お殿様が参勤交代で江戸に行く時に休憩する場所として普門院が使われていました。
普門院が再建された寛政8年(1796年)その頃細井平洲という学者が江戸から米沢に向かっていました。その細井平洲を上杉鷹山が普門院にご案内し休憩をとって労を慰められたという逸話が残っています。
本堂ではありません。
駐車場からすぐ入り口があります。
お地蔵様と由緒書きが先ずはありました。
由緒書きアップ。
子育地蔵尊のお堂
地蔵尊アップ
本堂は修繕中
本堂の少し奥にはこれらが
さらに奥には。墓地なのだと思いますが素敵です。
山門は駐車場よりだいぶ下にあります。
山門後にあります。時代の流れを感じますね
時代の流れを感じますね②
山門前に上杉鷹山公と細井平洲の像があります。
その説明書。
所在地:山形県米沢市関根13928
山 号:岩上山
宗 派:真言宗智山派
寺 格:
本 尊:大日如来
創 建:853年(仁寿3年)
普門院さんとは関係しないらしいですが、住職にお気遣いいただき案内していただいた地元に伝わる滝不動。
普門院さんとは関係しないらしいですが、住職にお気遣いいただき案内していただいた地元に伝わる滝不動。
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