ふもんいん
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普門院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月09日(土)
参拝:2024年11月吉日
息子が泉岳寺の近くにある中学に入ることになった時から、赤穂浪士の本を沢山読んだ。その中でも童門冬二先生の本が一番面白かった。
近くの浄土宗寺院での講演会でも御会いして、大ファンになってしまった。
その童門冬二先生が一押しなのが、江戸時代、米沢藩の経済を建て直すべく奮闘した上杉鷹山なのだ。
上杉 鷹山(うえすぎ ようざん、寛延4年7月20日(1751年9月9日) - 文政5年3月12日(1822年5月3日)は、江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主。山内上杉家25代当主。諱は初め勝興、後に治憲(はるのり)であり、鷹山は藩主隠居後の号であるが、この名で知られる。米沢藩政改革を行った江戸時代の名君として知られる。
さてさて、童門冬二先生の著書を読み、普門院を知った私は数年前からパソコンに普門院のページをブックマークしていた。
山門の茅葺屋根といい、庭のお大師様の像といい、歴史を感じさせる。
上杉鷹山は有名であり、よく知っているが、上杉鷹山の恩師細井平州は、全く知らなかった。
今回は、普門院の住職夫人が対応してくださり、童門冬二先生のお話しなども伺えた。
2019年までは、こちらにも取材や講演会などで来られていたらしい。
コロナ過になり、来られなくなり、葬儀なども変わらざるを得なかった、なんだか大袈裟だったわね。と言われていた。
雪深い米沢。タクシー運転手の話では、山形県で一番の豪雪は米沢市なんだとか。
来月になると簡単には普門院にも来られなくなるそうで、本当に今ここで、日本の政治家全員に希望がない今、普門院にて、上杉鷹山の話を聴けたことは感謝であった。
山門の向こうに観える黄色く色づいた葉が素敵だった。
黄葉や 鷹山想う 米沢よ
https://note.com/shaludone1/n/nafdab92a0a3f
近くの浄土宗寺院での講演会でも御会いして、大ファンになってしまった。
その童門冬二先生が一押しなのが、江戸時代、米沢藩の経済を建て直すべく奮闘した上杉鷹山なのだ。
上杉 鷹山(うえすぎ ようざん、寛延4年7月20日(1751年9月9日) - 文政5年3月12日(1822年5月3日)は、江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主。山内上杉家25代当主。諱は初め勝興、後に治憲(はるのり)であり、鷹山は藩主隠居後の号であるが、この名で知られる。米沢藩政改革を行った江戸時代の名君として知られる。
さてさて、童門冬二先生の著書を読み、普門院を知った私は数年前からパソコンに普門院のページをブックマークしていた。
山門の茅葺屋根といい、庭のお大師様の像といい、歴史を感じさせる。
上杉鷹山は有名であり、よく知っているが、上杉鷹山の恩師細井平州は、全く知らなかった。
今回は、普門院の住職夫人が対応してくださり、童門冬二先生のお話しなども伺えた。
2019年までは、こちらにも取材や講演会などで来られていたらしい。
コロナ過になり、来られなくなり、葬儀なども変わらざるを得なかった、なんだか大袈裟だったわね。と言われていた。
雪深い米沢。タクシー運転手の話では、山形県で一番の豪雪は米沢市なんだとか。
来月になると簡単には普門院にも来られなくなるそうで、本当に今ここで、日本の政治家全員に希望がない今、普門院にて、上杉鷹山の話を聴けたことは感謝であった。
山門の向こうに観える黄色く色づいた葉が素敵だった。
黄葉や 鷹山想う 米沢よ
https://note.com/shaludone1/n/nafdab92a0a3f
すてき
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