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須佐神社ではいただけません
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すさじんじゃ

須佐神社
和歌山県 箕島駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

石段下に広い駐車場あり
車参道を通って石段上にも5台程度駐車可
(但し道は狭く急な坂道)

和歌山県のおすすめ🌸

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おすすめの投稿

神祇伯
2023年03月09日(木)
1339投稿

紀伊国在田郡の名神大社です。社名の通り須佐之男命さまを祀る神社で、同国の名神大社である伊太祁曽神社(五十猛命)、大屋津比売神社(大屋津姫命)、都麻都比売神社(都麻津姫命)の3社の父君でもあります。名神大社でここまで家族構成が分かりやすいという珍しい例です。

須佐神社(和歌山県)

《一の鳥居》
かなり大きいです。

須佐神社(和歌山県)

《祈願一覧》
災難除けの神様と紹介されていますが、かつては面していた海を渡る船が敬意を示さなかったことから転覆させる災いを起こしていたらしいです。さすが荒ぶる神さま筆頭…

須佐神社(和歌山県)

《二の鳥居と社号碑》
小高い丘に向けて参道が続いています。

須佐神社の建物その他

《表参道》
突き当たりには白い神馬さんがお待ちしています。

須佐神社(和歌山県)

《伊太祁曽神社遥拝所》
御子神であり一宮でもあります。紀伊国は一宮が3社あり、それぞれが全く別々の系譜、勢力に属しておりなかなか面白い構成をしています。

須佐神社(和歌山県)

《三の鳥居と中天》
いい天気でした。

須佐神社(和歌山県)

《花手水》
あくまで観賞用で、二の鳥居の横には柄杓ありの手水舎があります。

須佐神社(和歌山県)

《神門》
割拝殿型です。

須佐神社(和歌山県)

《拝殿》🙏
真ん中にまた別に祝詞殿のような建物があり、本殿がかなり奥にあります。

須佐神社(和歌山県)

《釜戸》
👁チェックポイント‼️
当社は1月15日に粥占神事を行います。近所にある宮原神社でも同じ神事があり、その占いの結果は従来の粥占のように米や小豆などの穀物ではなく、みかんや八朔、いちごなどの果物系に限っていました。こちらも占う対象は同じで、紀伊国が山ばかりで平野が少なく、そもそも穀類を育てられない環境にあったことが由来なんだそうです。

須佐神社の建物その他

《神紋》
「夏桃」と呼ばれる枝付きの桃です。素戔嗚尊さまが住んでいたことから紀伊国は根の国に繋がるとされており、根の国では伊邪那岐命さまが追いかけてくる醜女に桃を投げつけて撃退したとされていることで、魔除け=災難除けの由来になっているとか。

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歴史

古事記、日本書紀において、日本列島に樹木の種を播き、紀伊國に坐す大神と称され、大国主命が黄泉の国に坐す素戔嗚尊の元に赴くにあたって訪ねたとされる五十猛神(大屋毘古神)を御祭神とする伊太祁曾神社の親神として和銅6年10月に大和国吉野郡西川峯(現在の奈良県吉野郡吉野山)より勧請されたのが当社の始まりであると伝えられている。
当初、御社は当神社山上に西面して創建されていたが、海上往来の船舶等が、崇敬の至誠を捧げなければ、事故が多く発生したため、元明天皇の勅命により現在の地に遷座したといわれている。
従って古来海の守護神として、また御祭神の勇猛な性質から剣難除(災難除)の神として朝廷をはじめ武家や一般の人々の尊崇が篤く、江戸時代には藩主紀州徳川家の累代崇敬社として崇められ、社殿の造営修復等は藩費にて賄われていた。
延喜式神名帳においては、名神祭、月次祭、新嘗祭の官幣に預り、三代実録清和天皇貞観元年正月の条において従五位下から従五位上に叙せられ、木國神名帳には従一位と記されている。
元明天皇、後醍醐天皇の勅願所であり、建武2年須佐大神宮の震筆勅額及び兵杖4本を賜ったが、天正の兵火で焼失した。
又建武2年5月に楠木正成より保田一円を寄進され、浅野家領国の際には祈願所として田14町3反を献納されている。

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須佐神社の基本情報

住所和歌山県有田市千田1641
行き方
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和歌山県のおすすめ🌸

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名称須佐神社
読み方すさじんじゃ
通称千田の宮
参拝にかかる時間

約20分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0737-83-0195
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主》素戔嗚尊
創建時代和銅六年(713年)
創始者不詳
本殿春日造
文化財

太刀/徳川吉宗奉納(国重要文化財指定)

ご由緒

古事記、日本書紀において、日本列島に樹木の種を播き、紀伊國に坐す大神と称され、大国主命が黄泉の国に坐す素戔嗚尊の元に赴くにあたって訪ねたとされる五十猛神(大屋毘古神)を御祭神とする伊太祁曾神社の親神として和銅6年10月に大和国吉野郡西川峯(現在の奈良県吉野郡吉野山)より勧請されたのが当社の始まりであると伝えられている。
当初、御社は当神社山上に西面して創建されていたが、海上往来の船舶等が、崇敬の至誠を捧げなければ、事故が多く発生したため、元明天皇の勅命により現在の地に遷座したといわれている。
従って古来海の守護神として、また御祭神の勇猛な性質から剣難除(災難除)の神として朝廷をはじめ武家や一般の人々の尊崇が篤く、江戸時代には藩主紀州徳川家の累代崇敬社として崇められ、社殿の造営修復等は藩費にて賄われていた。
延喜式神名帳においては、名神祭、月次祭、新嘗祭の官幣に預り、三代実録清和天皇貞観元年正月の条において従五位下から従五位上に叙せられ、木國神名帳には従一位と記されている。
元明天皇、後醍醐天皇の勅願所であり、建武2年須佐大神宮の震筆勅額及び兵杖4本を賜ったが、天正の兵火で焼失した。
又建武2年5月に楠木正成より保田一円を寄進され、浅野家領国の際には祈願所として田14町3反を献納されている。

体験祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り重要文化財祭り武将・サムライ伝説花手水

Wikipediaからの引用

概要
須佐神社(すさじんじゃ)は、和歌山県有田市千田(ちだ)にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。鎮座地名に因み「千田神社」「お千田さん」とも。 有田市千田の南部の丘陵「中雄山」の中腹に、南面して鎮座する。
歴史
歴史[編集] 創建[編集] 伊太祁曽神社(和歌山市伊太祁曽)。祭神の五十猛命はスサノオの息子神であるという。古来須佐神社と関係が深い。 『続風土記』の引く社伝によれば、和銅6年(713年)10月初亥日に大和国吉野郡西川峰(場所不明)から中雄山の山頂に勧請されたのが創祀という[1]。また同記では、当初は海に面して西向きであったが、往来する船が恭意を表さないと転覆させるなどの神異を示したため、元明天皇(在位:707年-715年)の勅命により海が見えないよう中腹の現在地に移し南向きに改められたという[2][1]。当社が勧請されたという和銅6年10月初亥日は、伊太祁曽神社が現在地(和歌山市伊太...Wikipediaで続きを読む
行事
祭事[編集] 年間祭事[編集] 月始祭 (毎月1日) 月次祭 (毎月14日) 歳旦祭 (1月1日)[1] 粥占 (1月15日) 節分祭 (2月3日) 講まいり (2月) 春祭(祈年祭) (3月) 大漁祭 (4月) 夏祓 (6月) 夏祭宵宮 (7月13日) 夏祭 (7月14日) 輪越 (旧暦6月30日) 千田祭 (10月14日) 冬祭(新嘗祭) (11月) 大祓式 (12月31日) 主な祭事[編集] 千田祭(例祭) 10月14日。当社の例祭は「千田祭(ちだまつり)」と称される。例祭は古く9月初卯日に行われていた。正保4年(1647年)に頼宣によって9月14日に改められ[2]、後に太陽暦に改...Wikipediaで続きを読む
引用元情報須佐神社 (有田市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%A0%88%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%9C%89%E7%94%B0%E5%B8%82%29&oldid=98335671

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