じそんいん
慈尊院のお参りの記録(1回目)
~松長有慶高野山真言宗金剛峯寺元管長と
女人高野・結縁寺~
山号 万年山
宗派 高野山真言宗
御本尊 弥勒仏(国宝)
創建年 弘仁7年(816年)
開山 弘法大師(空海)
札所等
仏塔古寺十八尊第6番
紀伊之国十三佛霊場第6番
伊都郡四国八十八ヵ所第1番
神仏霊場巡拝の道第10番(和歌山第10番)
文化財
木造弥勒仏坐像(国宝)
弥勒堂、絹本著色弥勒菩薩像(国重文)
世界遺産
平成16年7月 世界遺産に登録された慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。
当時の慈尊院は、今の場所より北側にあり、方6丁の広さがあったと伝えられていますが、天文9年(1540年)紀の川の大洪水にて流失しました。
しかし、弥勒堂だけは天文6年(1474年)に今の場所に移してあったので、流失をまぬがれたそうです。
「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。
しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。
弘法大師は月に九度、高野山からお母様に会いに来られました。そのことから、この地は九度山と名付けられたという説があります。
女人の高野
女人高野のいわれがあるため、子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬を奉納する女性が多く訪れます。
多宝塔
御本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれています。弘法大師の創立。
現在の塔は寛永年間(1624~1643)に再建されました。
弥勒堂
桧皮葺の低い建物で、中は方三間。平安時代末期の輪郭を残しています。 お母様が亡くなった後、弘法大師はお母様が篤く崇拝していらっしゃった弥勒菩薩座像と御母公像を安置するため、弥勒堂を建てられました。
築地塀
境内の周囲3方約250mにわたります。
五輪塔
表門をくぐったすぐ左側にあります。
承安元年(1171年)12月、慶幸俊厳の放火によりたくさんの経巻、道具類が焼失しました。
高野山町石道
九度山町から高野山へと続く約21キロの道程で、今も一町(109m)ごとに卒塔婆石が残り、歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般庶民が、現在に至る千余年の間、ふみかためてきた信仰の表参道です。 その入り口となる180町石がこの慈尊院にあります。
高野山案内犬 ゴンの碑
~・~・~・~・~
2023年4月16日
高野山元管長・総本山金剛峯寺座主を2006年から2期8年務められた松長有慶さんが、93歳でお亡くなりになりました。
チベットなどに調査に出かけられ、密教の教えを著書等を通して一般にも広められた御方です。
一番印象に残っていることが、高野山大学で研究生活を送られて、1983年から4年間学長に就任されました後、管長・座主を務められていた2009年⭐天台座主による平安時代以降初となります金剛峯寺の公式御訪問が実現されたことでした。
真言宗と天台宗のトップの御方がお会いされることは、まさに 弘法大師(空海)さまと伝教大師(最澄)さまを見せて戴けたようで、新聞記事のお写真を大切に見せて頂きました。
⭐密教に基づく新しい価値観⭐をわかりやすくお示し下さいましたありがたい気持ちで、いてもたってもいれず慈尊院さま・丹生神社さまへ向かい、高野山金剛峯寺さまを拝ませて頂きました。
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
⑲カ所全てで押印すると「高野七口踏破証明書」と記念品のプレゼント💝
「高野・熊野」和歌山四参詣道 超完全制覇は、92カ所です💦
道の駅かつらぎ西 母さんツバメ
紀ノ川にかかる鯉のぼり🎏
すてき
みんなのコメント(3件)
こんばんは。
高野山は女人禁制だったため、ここへ来てのお参りをしますが、元々は弘法大師が開いた「山」を母君がお参りしたいとのことから建てられたと言われています。
その「表高野」入口にあたるここから高野山の大門まで案内をしていたのが案内犬の「ゴン」です。
紀州犬と柴犬の雑種だったかと記憶していますが、まだ若い頃に会社の同僚と「山」登りをしたことがあり、ほぼ一日の行程でしたが、老犬だった「ゴン」は、ほぼ毎日慈尊院と高野山大門を往復していました。
弘法大師の伝説にも白犬が案内をしていたとかで、弘法大師の犬の再来と言われていました。
昨年、33年ぶりに訪れて変わらない原風景に懐かしさを感じました。
ここの鐘の音がお気に入りだった「ゴン」は、今も境内でみ守っていることでしょう。
この裏の山の上が「勝利寺」です。
ハマの寺リスト先生🐺🐯🐺🐯🌿
こんばんは。連勝利寺さまですね。おめでとうございます。😊V🐯 先生の昨年の巡礼がつい先日のことの様です。😌💚 ゴン🐺ちゃんのお話が記憶に深くあります。同じ時期でしょうか?昔、橋本ロータリークラブのご縁で高野山役場にお世話になり、4つある高野山へのルートを取材していました。本当に変わらない風景・景色に懐かしさを覚えます。コロナ禍前ほどではありませんでしたが、それでも観光バスがあの細い道を入れ替わり入って来る様や、石道を歩かれた(る)方々を見て改めて高野山信仰の深さを感じました。いつも共感の佛光米をお寄せ頂きありがとうございます。🌿V🐺🐯🐺🐯V💚💚
おはようございます。
ロータリークラブの仕事でしたか。高野山へのルートは、学問路(かむろ)~極楽橋のルートの他に女人道などがありますが、もっともオーソドックスなのが町石道の弘法大師のルートでしょうか。あの「ゴン」が案内していた道で慈尊院から180の石塔を数えて急坂の約20キロのコースでした。
丁度、昭和が終わって平成に入った頃です。
ちなみに、ゴンによる案内犬は1992年が最後で、2000年代に天に召されたそうです。
結構、その場所へ誘われたものかと感じてはいます。
そして、勝利寺の下を通っていましたが、当時はあまり気にも留めていなかったようでした。
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住吉大神の宮九箇処
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東村の 神の子 弦申様は
播州一の男前 おとこまえーっ♪
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長崎くんち💖🤍🩵
お気に入りの霊場を少しずつ巡礼しています。
よろしくお願いします。
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