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慈尊院ではいただけません
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慈尊院のお参りの記録(2回目)
投稿日:2022年03月25日(金)
参拝:2022年3月吉日
【南海御朱印めぐり・慈尊院】
弘法大師母公のお寺として有名な慈尊院。
816年、弘法大師が高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山の庶務を司る政所を置いたのがはじまりとされています。
そこへ、大師の母公が高齢にも関わらず、香川県より我が子の開いた山を一目見たいとの思いから当寺へ参られ、弥勒菩薩を篤く信仰したそうです。大師は高野山から政所へ通ずる「町石道」を通って月に九度も母を訪ねて来たと伝わり、周辺の地名「九度山」の由来となりました。母公が亡くなると大師は廟堂を建立し、自作の弥勒仏と母公の霊を祀ったそうです。
後に、母公が入滅して本尊に化身したという信仰が盛んになり、当寺は女性に縁の寺として知られるようになります。弥勒菩薩は「慈尊」とも呼ばれることから当寺には「慈尊院」の名がつき「女人高野」とも呼ばれるようになったとか。
弘法大師母公のお寺として有名な慈尊院。
816年、弘法大師が高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山の庶務を司る政所を置いたのがはじまりとされています。
そこへ、大師の母公が高齢にも関わらず、香川県より我が子の開いた山を一目見たいとの思いから当寺へ参られ、弥勒菩薩を篤く信仰したそうです。大師は高野山から政所へ通ずる「町石道」を通って月に九度も母を訪ねて来たと伝わり、周辺の地名「九度山」の由来となりました。母公が亡くなると大師は廟堂を建立し、自作の弥勒仏と母公の霊を祀ったそうです。
後に、母公が入滅して本尊に化身したという信仰が盛んになり、当寺は女性に縁の寺として知られるようになります。弥勒菩薩は「慈尊」とも呼ばれることから当寺には「慈尊院」の名がつき「女人高野」とも呼ばれるようになったとか。
すてき
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