なんいん|高野山真言宗
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楽しみ方南院のお参りの記録一覧

今回は和歌山県の寺院巡りです。
和歌山県と言っても北部(紀北地域)ですけど。
(全くの余談ですが、本日28日に南紀白浜のアドベンチャーワールドで飼育されていたパンダ4頭が中国に無事返還されましたね。)
先ず1寺目は、伊都郡高野町に在る高野山 南院です。正式名は高野山別格本山浪切不動尊別当南院。
高野山真言宗で、本尊は波切不動明王。
この本尊・不動明王立像は重文で、年に1日、6月28日にのみ開帳されます。
例年ならば6月28日は梅雨の真っ只中ですが、今年は統計を取り始めて最早の昨日の6月27日に近畿地方は梅雨明け(した模様)との事で、天気は良く、標高の高い高野山ではそよ風が心地良かったです。
東大寺の南院に住していた子島真興僧都により10世紀末?に創建、それにより寺名を南院とした。806年に空海が唐から帰国する際、嵐に遭って海上荒れ狂う最中に、唐での師であった恵果から授かった赤栴檀(しゃくせんだん)の霊木をもって空海が自作した不動明王に祈願したところ、全身から光を放って荒波を切り鎮め、無事に帰国できた事から浪切不動明王と称されます。この不動明王像は京都・神護寺→京都・醍醐寺→名古屋・熱田神宮→高野山・壇上伽藍(山王院)→南院と遷されたとの事です。
事前に開帳される時刻をお訊きした所、8時~16時半との事でしたので、11時前後に到着する計画で自宅を出発。東名阪道で事故渋滞に巻き込まれてしまい渋滞を抜けるのに30分くらい費やしましたが挽回して10時45分に到着。車を停めさせて頂き、本堂へ行くと堂内下陣には多くの人が座っています。11時から護摩法要との事で皆さんお待ちの様です。拝観も法要が終わるまでお預けであり、堂内は暑いので堂外でスタンバイ。風が通って全然暑くなかったです。須弥壇には五大明王像が祀られ、中央に不動明王ですが、目当の不動明王なのかお前立ちなのかわかりません。右側の間には十一面観音が、左側の間には弘法大師が祀られています。
30分程で法要は終わり、ご住職の法話を15分聞いて、拝観可能となりましたので堂内に入らせて頂きました。順路は左側の通路を進んで後陣へ行き、正面から見える不動明王の真後ろに金庫の様な厨子の扉が開けられていました。(正面に見えたのはお前立ちでした。)
厨子の中の不動明王立像は割と近くに寄って観る事が出来ました。高さ約90cm、首をかしげている様な独特な立ち姿。平安時代の作とは思うが、空海が彫ったと云われる平安初期の作なのかはわからなかった。とは言うものの、霊験あらたかな雰囲気が漂い、思わず合掌してしまうのは何故だろうか。
それから内陣に祀られる五大明王像、十一面観音立像、弘法大師像も拝観させて頂いた。なかなか良く出来た仏像と思ったが、いかんせん暗くて細部まではわかりませんでした。
最後に御朱印を頂き、次の寺院へ向かう事にしました。
(仏像に興味がある/ないは別にして、年1日ですが都合が着くのであれば1度行かれると宜しいかと思います。)

御朱印

山門

本坊

本堂



八大浪切龍王(鳴龍)の天井絵


中央に不動明王ですが、お前立ちです

本尊・不動明王立像(重文)
(ネットから転載)


仏舎利塔


天川村から始めた、お不動さん巡り。
高野山にも2か所の霊場があるので、この機会にお参りしなければ😆
ということで、南院へ。
紅葉には、まだちょっと早かったかな🍁
ちょうど参拝者が誰もいなかったので、ゆっくりお参りできました🤗







鳴龍
この龍の下、中央で手をたたくと、ビーンという感じで音が響くので、鳴き龍といわれているようです。



不動玉

直書きでいただきました。

*ブログの報告より部分抜粋
25日(木)、翌日は朝から徳島港の南海フェリー乗り場へと走り、11:00発のフェリーで~和歌山港へ(13:05着)。向かった先は高野山です。本来であれば、四国遍路を結願してから高野山の奥之院へ報告参りをするものですが、私たちの場合は次回が殆ど難しいことなので、これが最初で最後となる可能性を考慮し、今回、初めて四国遍路を体験できたことの感謝とそのご報告のために高野山へ立ち寄ることにしたのです。
高野山には夕方に到着、宿泊先は前回6年前の高野山参りでは満室で部屋のとれなかった『南院』の宿坊です。この南院に宿泊するのはかねてからの憧れで、今回はコロナ禍で海外からの参拝者がいなかったことにより空いていたのです。前回の更新でも少し触れたとおり、ここの本尊である不動尊こそが唐からの帰途、嵐に襲われた空海を救って下さったという伝説の不動明王像なのです。空海の祈りに応えて出現された大きな不動尊が利剣で波を切り裂く動作を繰り返して荒波を鎮めたとされています。これが恵果阿闍梨、直々に開眼祈祷された霊験あらたかな不動明王さまで『波切不動尊』と呼ばれているものです(後代の藤原時代の作とする説もありますが、私は唐で制作されて恵果阿闍梨が開眼した尊像を空海が持ち帰ったものとみています。一般的な空海作の伝には否定的な私ですが、波切不動の奇跡談は実話であると信じます)。
この波切不動尊のその後の不思議な逸話としては、波切不動尊が高野山に来る以前は国家安泰のために『熱田神宮』にて祀られていたのでしたが、この不動尊を護っていた十二坊(12人の僧侶)の一人がある日から、「わたしは高野山にいってもっと大勢の法楽(経の読誦等々)を受けたい」というこの不動尊からのお告げの夢を見るようになりました。この素晴らしい不動尊から離れたくない想いだったこの僧は、そのことをただ一人で黙っていたところ、更に、「わたしがここからいなくなっても寂しい想いをすることはない。ここにわたしの剣を(わたしの代わりとして)残して、この神社を護るから」という不思議な夢を繰り返し何度も見るようになったのです。僧は、これはもうただの偶然などではないと思い直して、その夢のことを他の仲間の僧たちに打ち明けたところ、なんと実は12人全員がまったく同じ夢を見ていたということがわかったのです。
それで当時の御三条天皇にそのことを申し上げたところ、この不動尊のお告げを信じられた天皇の指示により、熱田神宮には不動尊の古い利剣がそのまま残されて祀られ、不動尊には新しい剣(竹から作った古式の剣)を携えて高野山にて祀られることとなったのです(熱田神宮には、このときの不動尊の利剣が今でも大切に祀られています)。
詳細は不明ですが、最初はこの高野山の『山王院』にて祀られていたのですが、この波切不動尊をこの目で見ようと多くの僧侶たちが集まった大きな法要があり、南院の住職で当時の高野山で最も偉い僧侶であった維範を招いた修法の最中。大勢の参拝者たちの見守る中で突然、この波切不動尊がゴトゴトと揺れ出した。ところが維範はまったく動じることなく、「お不動さんの名に似ず、どうしてそんなに動揺されるのか?」といって、洒水の散杖にて不動尊の頭をピシャリと押さえつけたという。これではとても他の僧侶の手には負えないものと判断され、最終的にはそのまま維範の南院にて祀られることとなったらしいということ。噂によれば、以来~数々の国内の動乱を鎮めてこられたともされています(真相は不明ですが、将門の乱を鎮めた本命の不動尊であるとの説も...)。
念願叶って、早朝勤行の参加でこの有難い波切不動尊の御前にて座すことができたことは、とにかく格別の有難さでした。ただ秘仏にてその御姿を拝することはできませんでした。不動尊寺院の大祭は毎年6月28日とするところが多く、ここ南院ではその日が年に一度の御開帳の日となっています(毎月28日は不動尊の御縁日となっています)。
時期的に標高の高い高野山は非常に寒く、厳寒の地である北海道にて暮らす私たちですらも震え上がりました。風呂場は総檜ヒノキの湯船で浴室も広くて清潔感いっぱいの素晴らしいものでした。以前までは、高野槇の湯船だったそうですが、古くなって痛みが激しくて交換されたとのこと。食事を頂いた部屋は堀こたつで脚が楽でポカポカと暖かで、精進料理も綺麗で美味しく頂けました。すべてのお世話をして下さった若い僧侶の方がとても朗らかで親切な対応でした---感謝。
ただ一つだけ贅沢なことをいうと、まったく新しく創られた別館が宿坊というのは確かに綺麗この上ないのですが、高野山の千年~1200年といった重みのある歴史を自分の肌で感じるには古いそのままがいいかな~というのが、私個人の正直な感想です(それでも宿坊のスペースがなければ新しく創らざるえませんけれど)。それが前回、西室院(こちらは大師の手彫とされる稚児不動尊を完全非公開の秘仏としている)の宿坊だったのと比較して強く感じたことでした。翌朝、宿を出る際に頂いてきたのは、南院特製の素敵な護摩札です。
ブログ---宝珠diary
『Occultist による仏教論考 etc.』
https://houju-isis.fc2.net/blog-entry-13.html
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