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粉河寺ではいただけません
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こかわでら

粉河寺のお参りの記録(1回目)
和歌山県粉河駅

投稿日:2022年08月25日(木)
参拝:2021年10月吉日
(過去参拝) 西国三十三所観音霊場巡礼 (1巡目)
第三番札所 風猛山 粉河寺 に参拝しました。

奈良時代末 宝亀元年(770)の開創。当時、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古は、いつも幽谷の樹幹に足場を定めて、夜ごと猪や 鹿を狙っていたが、ある晩、光明輝く地を発見、発心してその場所に柴の庵を建てた。

後日、一夜を泊めてもらった童行者は、孔子古の願い(庵に仏像を安置すること)をかなえてやろうと、七日七夜、庵にこもり、等身の千手観音像を刻み立ち去った。

その後時移り、河内国の長者佐太夫の一人娘が長患いしていた。そこへ童行者が訪ね来て千手陀羅尼を誦して祈祷、やがて娘の病は回復した。童行者は長者がお礼にと申し出た七珍万宝を断り、娘が捧げるさげさや(お箸箱)と袴のみを手に「紀伊国那賀郡粉河の者だ」とのみ告げて立ち去った。

翌年春、長者一家は粉河を訪れたが、探しあぐねて小川の傍らで一休み、ふと流れる水が米のとぎ汁のように白いのに気がつき、粉河の証しであることを確信、さらにその川を遡り庵を発見した。扉を開けると千手観音が安置され、娘が差し出したさげさやと袴を持たれていたので、かの童行者は、実は千手観音の化身であったことが分かった。この開創の由来は、当寺所蔵の粉河寺縁起絵巻(国宝)等にて伝えられている。
(ホームページより引用)
粉河寺の山門
粉河寺の仏像
粉河寺の像
粉河寺の山門
中門 「風猛山」の扁額 紀州十代藩主 治宝侯の直筆
粉河寺の建物その他
粉河寺の本殿
本堂
粉河寺の建物その他
粉河寺の御朱印
粉河寺(和歌山県)
粉河寺の御朱印
粉河寺(和歌山県)
粉河寺(和歌山県)
粉河寺(和歌山県)
丈六堂の阿弥陀様
やわらかいお顔立ちでいらっしゃる
粉河寺(和歌山県)
粉河寺(和歌山県)
粉河寺(和歌山県)
駐車場そばのお土産店🍊にて支払いました。

すてき

御朱印

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