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こかわうぶすなじんじゃ

粉河産土神社(たのもしの宮)の御由緒・歴史
公式和歌山県 粉河駅

ご祭神丹生津比売命
正勝吾勝々速日天忍穂耳命
創建時代780年ごろ
創始者大伴船主
ご由緒

粉河産𡈽神社は、「寺は石山、粉河、志賀(枕草子)」とうたわれた西国第三番 粉河寺の境内に鎮座し、主祭神に天之忍穂耳命、丹生津比命の二柱をまつり、別名「たのもしの宮」と呼ばれています。
ご祭神の丹生津比賣命は、上丹生谷にある丹生神社より延暦年間(782〜806)に、粉河寺の創立者大孔子古の息子 船主が粉河寺内に勧請し、また、天之忍穂耳命も同時期に粉河東野にある王子神社から勧請したと伝わります。
紀州三大祭の粉河祭は当社の大祭。門前町粉河の総鎮守です。

歴史
歴史[編集] 宝亀元年(770年)に紀伊国の猟師・大伴孔子古が粉河寺を創建し、次いでその子の大伴船主が延暦2年(783年)に鎌垣庄内各村の氏神を勧請して粉河寺の鎮守社として社を建立した、それが当社の始まりであるという。 天正13年(1585年)に羽柴秀吉による紀州征伐にあい、粉河寺とともに全焼している。 粉河寺の本堂のすぐ奥にある鎮守社として、江戸時代には紀州藩主徳川家の崇敬を受けていたが、明治時代の神仏分離によって粉河寺から独立している。 1912年(大正元年)、旧長田村松井の丹生神社を合祀、同年粉河町東毛の大神社も合祀している。1919年(大正8年)には粉河町粉河天福神社も合祀してい...Wikipediaで続きを読む
引用元情報粉河産土神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%B2%89%E6%B2%B3%E7%94%A3%E5%9C%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101652929

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