こかわうぶすなじんじゃ
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粉河産土神社(たのもしの宮)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年06月25日(火)
参拝:2024年6月吉日
粉河寺の本堂裏手にある神社です。
別称として「たのもしの宮」(頼母子之宮)とも呼ばれます。
参道が2つあり 東の参道には三の鳥居までありました。
正面は一の鳥居だけですが こちらの方が立派です。
時刻が遅かったため 社務所は終了しており 御朱印は拝受できませんでした。
4種類 拝受しそこなってしまいました。残念。
拝殿の奥に本殿があるのですが 丹生津比賣命と天忍穂耳命の2基ありました。
境内摂社がとても多く 写真を撮ったのですが どれがどれか分からなくなります。
御祭神は 丹生津比賣命・天忍穂耳命です。
宝亀元年(770年)に紀伊国の猟師・大伴孔子古が粉河寺を創建し 次いでその子の大伴船主が延暦2年(783年)に鎌垣庄内各村の氏神を勧請して粉河寺の鎮守社として社を建立した それが当社の始まりであるという。
天正13年(1585年)に羽柴秀吉による紀州征伐にあい 粉河寺とともに全焼している。
粉河寺の本堂のすぐ奥にある鎮守社として 江戸時代には紀州藩主徳川家の崇敬を受けていたが 明治時代の神仏分離によって粉河寺から独立している。
とありました。
別称として「たのもしの宮」(頼母子之宮)とも呼ばれます。
参道が2つあり 東の参道には三の鳥居までありました。
正面は一の鳥居だけですが こちらの方が立派です。
時刻が遅かったため 社務所は終了しており 御朱印は拝受できませんでした。
4種類 拝受しそこなってしまいました。残念。
拝殿の奥に本殿があるのですが 丹生津比賣命と天忍穂耳命の2基ありました。
境内摂社がとても多く 写真を撮ったのですが どれがどれか分からなくなります。
御祭神は 丹生津比賣命・天忍穂耳命です。
宝亀元年(770年)に紀伊国の猟師・大伴孔子古が粉河寺を創建し 次いでその子の大伴船主が延暦2年(783年)に鎌垣庄内各村の氏神を勧請して粉河寺の鎮守社として社を建立した それが当社の始まりであるという。
天正13年(1585年)に羽柴秀吉による紀州征伐にあい 粉河寺とともに全焼している。
粉河寺の本堂のすぐ奥にある鎮守社として 江戸時代には紀州藩主徳川家の崇敬を受けていたが 明治時代の神仏分離によって粉河寺から独立している。
とありました。
参道が2つありました
東の鳥居
三の鳥居までありました
正面の鳥居
石柱とは言わないか
手水舎
拝殿
由縁
境内案内図 摂社が多い
拝所
内陣 本殿は奥に2基
社務所
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記念碑
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