西山浄土宗
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前々から訪ねようと考えていた 土橋氏居館跡地(安楽寺)を参拝🙏。
『雑賀衆を巡る』シリーズです😆。
・山号:紫雲山
・宗派:西山浄土宗
・本尊:阿弥陀如来
土橋氏屋敷は、粟村城とも呼ばれる土橋氏の居館で現在の安楽寺境内一帯に築かれていた。約125m四方の居館であったと推定され、寺の門前を流れている用水路が堀跡と伝えられている。
🔫『土橋 守重(つちはし もりしげ)』
雑賀荘の有力者「土橋家」の当主。
雑賀衆の中で、十ヶ郷の有力者であった「雑賀孫市(鈴木重秀)」と肩を並べるほどの力を持っており、さらに根来衆の有力者でもある。
しかし雑賀孫市とは仲が良くなかったようで、4人の息子と共に本願寺の援軍に向かっているが、孫市とは別行動を取っている。
只、行動は別にしていたが常に同じ陣営にいて、その後も雑賀孫市と共に三好家に味方していた。
織田信長が約6万の大軍で雑賀に進攻してくると、孫市と共にこれに抗戦。
最終的に雑賀のリーダー七人が織田家に従うという約束状が出されるが、織田軍に大きな被害を与え、降伏という名目の停戦に漕ぎ着けている。
しかしこの停戦後、雑賀孫市(鈴木家)は織田家に対して穏健的な姿勢を見せるが、土橋守重は織田家への徹底抗戦の構えを崩さなかった。
ここに鈴木家と土橋家の利権を巡るトラブルや、宗教的な対立も重なり、ついに抗争が勃発。
その結果、土橋守重は雑賀孫市の襲撃を受け、戦死した。 土橋守重と雑賀孫市本人が銃撃戦をしたとも言われている。
ただ、土橋家の一部が鈴木側で戦っていたという話もあり、土橋家の内乱と見る向きや、織田勢の謀略とする説もある。
このあと土橋家の一党は四国へと逃走。鈴木家は織田家の後ろ盾で雑賀内での力を強めるも、「本能寺の変」でそれを失ったようで、再び内紛状態に。
最終的には根来衆や四国の長宗我部家の支援を得た土橋家が鈴木家を追放するのだが、間もなく秀吉の紀州征伐が始まり、滅びに向かっていくことになる。
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