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惣光寺ではいただけません
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惣光寺のお参りの記録(1回目)
和歌山県田中口駅

投稿日:2020年03月07日(土)
参拝:2019年8月吉日
弘仁5年に弘法大師が音浦の地(花山)を訪れた時、霊夢で林に一寸八分の黄金の毘沙門天像を得て、自ら刻んだ毘沙門天像に、その黄金仏を体内仏として納め安置したのが始まりで、それ以来寺号は惣光寺(総光寺とも)。また山号は音浦山(オトラサン)金語楼のおトラさんと同じ読み。
天正年間に起った雑賀党と宮党の争いに巻き込まれ、堂宇は焼失してしまう。更に天正13年の太田城水攻めにより、安置していた諸仏や伝書等は流失。本尊の毘沙門天像だけは、太田源次郎の守護により、二度の難を逃れた。
徳川時代には、小牧の戦に家康公にお味方した事から、紀州徳川家の信奉をうけ、現在地には六代藩主宗直の命により、宝暦6年に海善寺第20世天瑞上人が再建、中興の祖となる。
境内にある地蔵堂は珍しく北向きで、この地蔵菩薩像は四国88所第19番立江寺から勧請された。また、十一面観世音菩薩は明治初期に、廃寺になった観音院から招来された。
今は一寺なれども昔は西隣に観音院があり、妙幢菩薩をお祀りしていた。妙幢菩薩は悪夢を吉夢へ変ぜしむるを誓願とせられたるが故に俗に夢の妙幢という。今もこの地の人は「惣光寺」とは云わず俗に「みよど」と呼ぶ。
総光寺由来并太田城水責図、総光寺中古縁起所蔵 日本三大水攻めの一つ(他に備中高松城・・・本能寺の変の折太閤は毛利攻めの最中のあの城。武蔵忍城・・・のぼうの城のモデル)この後刀狩(兵農分離)の始まりとか。
惣光寺の本殿
御本堂

すてき

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