いたてじんじゃ
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伊達神社ではいただけません
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伊達神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月27日(月)
参拝:2023年3月吉日
紀伊国名草郡の名神大社です。『播磨国風土記』で神功皇后さまが韓国へ渡る際に船に祀った「イタテ神」の神社とされており、同郡名神大社である志磨神社、静火神社と合わせて「紀三所社」として崇敬されています。
《鳥居》
御祭神が伊太祁曽神社と同神であることから園部一の宮といわれていたこともあったそうな。
御祭神が伊太祁曽神社と同神であることから園部一の宮といわれていたこともあったそうな。
《社号碑》
「郷社」と書かれています。中世には伊達神社は所在地がハッキリしておらず、この神社も園部神社を名乗っていたからかかなり低めの社格に列していますね。
「郷社」と書かれています。中世には伊達神社は所在地がハッキリしておらず、この神社も園部神社を名乗っていたからかかなり低めの社格に列していますね。
《表参道》
もうかなりあったかくなって新芽が芽吹いています。
もうかなりあったかくなって新芽が芽吹いています。
《手水舎》
水が出ており柄杓なしで洗えます。
水が出ており柄杓なしで洗えます。
《拝殿》🙏
各ご祈祷の幟があったり、氏子さんたちの清掃奉仕の日付が書いてあったり、普段から人がいるような感じですね。
各ご祈祷の幟があったり、氏子さんたちの清掃奉仕の日付が書いてあったり、普段から人がいるような感じですね。
《由緒書き》
👁チェックポイント‼️
伊達神社は『延喜式』神名帳にも複数見られ、当社と丹波国、陸奥国に同名で、また播磨国の"射達"兵主神社、中臣"印達"神社も異字同音で同じ五十猛命さまを祀ります。また、当社が韓国へ行く際に祀った伝承、中臣印達神社が大陸から来て種を蒔いた伝承を持ち、行き来の向きが変わりますが、大陸に必ず関連してきています。となると五十猛命さまは渡来神だったのでしょうか?
👁チェックポイント‼️
伊達神社は『延喜式』神名帳にも複数見られ、当社と丹波国、陸奥国に同名で、また播磨国の"射達"兵主神社、中臣"印達"神社も異字同音で同じ五十猛命さまを祀ります。また、当社が韓国へ行く際に祀った伝承、中臣印達神社が大陸から来て種を蒔いた伝承を持ち、行き来の向きが変わりますが、大陸に必ず関連してきています。となると五十猛命さまは渡来神だったのでしょうか?
《末社群》
本殿を囲むように点在しています。
本殿を囲むように点在しています。
《御神木》
社務所がありましたが、今回はお留守でした。
社務所がありましたが、今回はお留守でした。
すてき
投稿者のプロフィール
神祇伯1458投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(11/3更新)
御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。
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