こんたいじ|高野山真言宗|護国山
金胎寺富山県 小杉(JR)駅
9:00~16:00
護国山金胎寺(ごこくさんこんたいじ)は、今から約760年前の文応元年(1260)頃、高野山大楽院信顕阿闍梨が北陸巡業の折、越中に滞在し、当地に金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を安置し、加茂社の神宮寺として草創されました。
山号 護国山
本尊 大日如来
#金胎寺
大日如来、不動明王、太元帥明王など10尊以上の仏様をご本尊に挙げる。
#太元帥明王 #阿吒縛大将
僕は長い間、太元帥明王は全国で唯一、秋篠寺(奈良県奈良市)にしか祀られていないと思っていた。あちらでこの秘仏がご開帳されるのは毎年、6月6日のみ。令和2年のその日は土曜日だったので、万難を排して参拝すると決めていた。
が、コロナ禍はあまりにも万難すぎた。緊急事態宣言は解除されていたが、行く気は失せた。ご開帳しようものなら混雑は必至。やるのか否か、確かめようとも思わなかった。
奈良市ではなく京都市を巡り、勝林寺(東山区)などに参った。勝林寺ではビシャモン天マンダラの写しを受けた。ビシャモン天を中心に、吉祥天、五太子、八大ヤシャ大将、二十八使者と、彼の関係者一同が勢揃いした図像だ。
ところで、写真の御朱印の墨書きに相当する部分。中央の太元帥明王の右上に、小さくアタバク大将とある。
初めてこの御朱印を見た時、真っ先にここへ目がいった。なぜならそう遠くない以前、同じ名前を目にしたから。――八大ヤシャ大将の一員として。
いぶかしんで調べてみると案の定、八大ヤシャのアタバク大将イコール太元帥明王と判明。
コロナ怖さに楽しみだった秋篠寺への参拝を断念した結果、かえって我が家へ太元帥明王がやって来た――僕さえ気付かない間に。公益を重視する彼らしいと言えば、彼らしい。
護国山金胎寺は今から約760年前の文応元年(1260)頃、高野山大楽院信顕阿闍梨が北陸巡業の折、越中に滞在し、当地に金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を安置し、加茂社の神宮寺として草創されました。
本堂の天井中央には、周囲に菊華紋をあしらった、墨絵の竜眼図が描かれています。
この寺は北陸で一番最初に前田利家の兄である前田安勝公により西国三十三観音に習い越中一国三十三観音の十五番札所(本尊秘仏千手千眼観音菩薩像)に定められた寺でもあります。
名称 | 金胎寺 |
---|---|
読み方 | こんたいじ |
参拝時間 | 9:00~16:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0766-55-1159 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.kontaiji.com/ |
ご本尊 | 大日如来
千手千眼観音菩薩 その他多数 |
---|---|
山号 | 護国山 |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 文応元年(1260年) |
開山・開基 | 大楽院信顕阿闍梨 |
ご由緒 | 護国山金胎寺は今から約760年前の文応元年(1260)頃、高野山大楽院信顕阿闍梨が北陸巡業の折、越中に滞在し、当地に金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を安置し、加茂社の神宮寺として草創されました。 本堂の天井中央には、周囲に菊華紋をあしらった、墨絵の竜眼図が描かれています。 この寺は北陸で一番最初に前田利家の兄である前田安勝公により西国三十三観音に習い越中一国三十三観音の十五番札所(本尊秘仏千手千眼観音菩薩像)に定められた寺でもあります。 |
体験 | 祈祷お祓いお宮参り結婚式七五三仏像御朱印お守り祭り人形供養札所・七福神巡り |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
2
0