けたじんじゃ
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越中国一宮 気多神社 気は旧字体です。
主祭神は大己貴命と奴奈加波比売命。
配神は菊理媛命と事代主命。
私はJR氷見線の越中国分駅から15分程歩いて行きました。勾配のある石段を上がりますと富山湾が一望できます。
皆様気になる御朱印ですが、基本的には書置きのようです。私が伺ったときは社務所の方がいらっしゃってお書き入れして頂けるかお聞きしたところ、快諾して頂き拝受できました。感謝。
徒歩10分程のところにバス停がありますので高岡駅行きで帰りました。ただし、本数があまりありませんのでご注意ください。ほとんどの方は車で行かれるとは思いますが、、、ちなみに駐車場もあります。
拝殿
本殿
富山湾一望できます
【越中國 式内社巡り】(過去の参拝記録)
気多神社(けた~)は、富山県高岡市伏木一宮にある神社。式内社で、越中國一之宮(※)。旧社格は県社。祭神は、大己貴命、奴奈加波比売命。本殿は国指定の重要文化財。
社伝によると、奈良時代の717年に祭神を勧請し創建とある。しかし通説では『式内社調査報告書』などに記載される通り、757年に越中国から能登国を分立する際に、能登国の気多大社から分霊を勧請したものと考えられている。
平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「越中國 射水郡 気多神社 小(または名神大)」に比定されている(「出雲本」では小、「九条本」等では名神大)。のち射水神社との間で一宮争いが生じたが、1163年に成立した『白山之記』では、越中國一之宮であったが、射水神社が無力の間に当社が一宮になったと記載されている。
中世以降、別当寺である慶高寺とともに神仏習合の形で発展し、寿永年間(1182年~1185年)には木曾義仲の兵火、天文年間(1532年~1555年)の上杉謙信の兵火で伽藍や社殿を焼失したが、その度に再建されている。安土桃山時代に検地で社領が召し上げられ荒廃し堂塔大破するも、加賀藩主・前田家の庇護を受け、1645年には加賀藩3代藩主・前田利常により社殿が修復され、供田を寄付されている。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR氷見線・越中国分駅の南西1kmのなだらか丘の上にある。当社の東方、丘の下には越中国分寺跡があり、当社の西方、社殿の背後には里山展望台がある。森の一部が境内のようになっていて、境内の神聖な空気感が非常に良い。境内のアップダウンは激しくはなく、社殿周りだけが一段高くなっている。立地としては一宮と称されることがあるのは納得だが、他の一宮のような豪壮な感じはしない。
今回は、越中國の式内社、越中國一之宮、富山県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の昼ごろで、我々以外にも家族連れや夫婦連れなど、割と多くの参拝者が訪れていた。
(※)越中国では、射水神社(射水郡)、気多神社(射水郡)、高瀬神社(礪波郡)、雄山神社(新川郡)の4社(いずれも式内社)が「越中國一之宮」を称している。なお、かつて国府や国分寺が存在した越中国の中心地は、現高岡市伏木(気多神社の所在地)とされている。
境内南東端入口にある<社号標>。
社号標に至るまでの公道脇にある<手水舎>。
入口の階段を登ると<鳥居>。この後、社殿前まで平坦な参道・境内が続く。
社殿は一段高いところにある。
階段を登って<拝殿>全景。横長なのが特徴。
階段を登った左側にある<狛犬>。微笑みを湛えたような独特な表情。(o^―^o)
階段を登った右側にある<狛犬>。材質は黄色っぽい独特な色合い。
拝殿に向かって右手にある<参集殿>。
<拝殿>正面。扁額は普通に「気多神社」。
<拝殿>内部。採光の良い幣殿の奥に本殿が見える。
拝殿後ろの<本殿>。戦国時代、永禄年間(1558~1570)の再建。三間社流造、向拝一間、杮葺。美しい佇まい。国指定の重要文化財。
社殿の左方向にある<御輿堂>。
御輿堂の近くにある<拝受所>。もう使われていないみたい。
社殿の左方向にある<大伴神社>全景。『万葉集』を編纂し、越中国司として当地で223首もの歌を詠んだとされる大伴家持を祀る。
<大伴神社>の社殿。
大伴神社から下ったところにある<神馬>。
神馬の近くにある<大伴家持卿顕彰碑>。
参道を挟んで神馬と反対側にある<越中総社跡伝承地>。
越中総社跡伝承地の近くにある<祭器庫>。
境内入口近くまで戻って、参道左側にある<社務所>。御朱印はこちら。
境内入口近くからの景色。富山湾が見える。(^▽^)/
名称 | 気多神社 |
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読み方 | けたじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり 真ん中に気多神社と書かれ、右上に越中国一宮の印、真ん中に気多神社の社印が押された御朱印です。 |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0766-44-1836 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://ketaweb.net/ |
SNS |
巡礼の詳細情報
日本全国の一宮まとめ |
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詳細情報
ご祭神 | 大己貴命 奴奈加波姫命 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 天平宝字元年(757) |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 三間社流造 |
体験 | 祈祷御朱印祭り札所・七福神巡り一の宮 |
Wikipediaからの引用
概要 | 気多神社(けたじんじゃ)は、富山県高岡市伏木一宮にある神社。式内社(名神大社または小社)、越中国一宮。旧社格は県社。 所在地の高岡市伏木は、かつて国府や国分寺が存在した越中国の中心地で、当神社境内にも越中国総社跡の伝承地がある。越中国内で一宮を称する4社のうちで唯一、所在地名に「一宮」と言う銘号が入っている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 社伝によれば、当神社が勧請されたのは養老元年(717年)としているが、『日本の神々 -神社と聖地- 8 北陸』[1]では、これに対する傍証は無く、草創については諸説あると述べ、以下の説を紹介している。 能登国は養老2年(718年)に越前国より分立し、天平13年(741年)に越中国へ合併された後、天平宝字元年(757年)に再び分立しているが、林喜太郎 『伏木一宮気多神社』[2]によれば、天平13年(741年)から天平宝字元年(757年)までの17年間は、社格からみて羽咋郡の気多大社が全越中の一宮だったはずであり、従って国府の所在地であった当所に分霊されたのは天...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「気多神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%97%E5%A4%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100611601 |
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