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楽しみ方雄山神社前立社壇のお参りの記録一覧
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越中国一之宮の中の雄山神社の3社目、前立社壇を参拝しました。
祭神は、伊邪那岐神(イザナギノカミ)、天手力雄神(アメノタヂカラオノカミ)。
雄山山頂にある峰本社は、冬期間は登山することが至難であったため山麓岩峅に社壇を建て、年中の諸祭礼を怠りなく奉仕したと伝わります。文武天皇、後醍醐天皇の勅願所であった。また、武将からの信仰も篤く、 建久年間(1190~8年)に源頼朝が本殿を再建し、1492年に室町将軍 ・足利義稙、1583年には佐々成政が本殿を造営・改修した。その後は加賀藩・前田家の保護を受け、加賀藩の祈願所となったとの事です。
先の中宮祈願殿は時間外で御朱印を頂けませんでしたので、こちらも駄目かなと思いながらカーナビが結構細い道を案内するため曲がる所を間違えたりして少し右往左往しながら16時50分に到着。兎に角、社務所目掛けて境内を進んだ所、まだ明るいので開いている様です。
神職さんに「御朱印頂きたいのですがまだ宜しいですか?」とお訊きしたら「大丈夫ですよ。」と。ふぅー、ギリ間に合った。こちらは17時まででした。
社務所の近くにもう1つの門(表神門)があり、どうもカーナビは裏側というか東神門側を案内した様でした。表神門の方が細い道を通らなくてもいいのでそちら側の駐車場へ行った方が良かったと思いますが、越中立山 多賀宮へも行かれる方は東神門から東へ少し行った所ですから東神門側が近くていいと思います。
日帰りで越中国一之宮の雄山神社を3社廻ったのですが、結果的に中宮祈願殿の御朱印は頂けず仕舞い。1日で済ませようというのが甘かった。今回朝5時に家を出た訳ですが、最低でももう1時間早く家を出て、立山駅を8時前出発のケーブルカーに乗って雄山を往復して下山しないといけなかった様です。
流杉スマートICから北陸道に乗り、愛知への帰路に着きました。(脚がつりそうでした。)
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射水神社の次に雄山神社前立社檀を参拝しました。
〘雄山神社前立社檀の御由緒〙
前立社檀は山裾に位置し、三社の中で一番平野に近く、立山の前に立つお社であることから前立社檀と呼ばれている。
社伝によれば立山は文武天皇の大宝元年(701年)に景行天皇の後裔越中国司佐伯宿祢有若公の嫡男(有頼少年)が白鷹に導かれ熊を追って岩窟に至り「我、濁世の衆生を救はんがため比の山に現はる。 或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かんがためなり」という雄山大神の神勅を奉じて開山造営した霊山であります。
富士山・白山と共に日本三霊山として全国各地から信仰されてきました。
山頂の峰本社は屹立した巖上にあり冬季間は雪深く登山することが至難であったので、山麓岩峅(前立社檀)に社檀を建て、年中の諸祭礼を怠りなく奉仕したと伝えられています。
(雄山神社前立社檀HPより抜粋)



櫛田神社の次は、中新川郡立山町に御鎮座する越中国一宮の雄山神社前立社壇に参拝に行ってきました。初めての富山県立山町に来ました。この日は少し寒く細かい雪が降ってました。境内は静かでゆっくりお詣りをする事が出来ました。
由緒
雄山神社は大宝元年(西暦701年)に越中国の国司 佐伯有若公の嫡男 有頼少年が白鷹と黒熊に導かれて、霊峰立山を開山した事から始まります。
御祭神は伊邪那岐大神と手力雄大神の二柱の神様をお祀りしており、この二柱の大神様を立山大神と称します。立山の冬は長く、雪深いため峰本社への登拝が困難となり、祭祀を年中奉仕出来るようにと平野に近い場所にお社を建てたと伝えられております。
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