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楽しみ方虎ノ門金刀比羅宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年04月25日(金) 16時57分08秒
参拝:2025年4月吉日
金刀比羅神社をご参拝。
金刀比羅神社を調べると、四国のいわゆる金比羅さまで有名な神社がヒットします。
なぜ同じ名前の神社が虎ノ門にあるかというと、1660年に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、当時の藩邸があった芝・三田の地にご分霊し、その後虎ノ門に移ったとのことでした。
なるほど、そのような経緯で金刀比羅神社があるのですね。
当初は、“金毘羅大権現”と呼ばれてましたそうですが、明治二年(1869年)、神仏分離で事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至るとのこと。
大権現とは、東照大権現などでも有名ですが、神仏習合の時代に使われた言葉だったんですね。調べると、権現とは、「仏が人々を救うために日本の神として現れた」という考え方のようで、大権現はその中でも特に崇高な存在とのこと。
確かに神仏分離の明治以降では使用しにくい言葉ですね~。勉強になります。
ただ、現在も、大権現として残っている場所もあり、消えたわけではないようです。
金刀比羅神社を調べると、四国のいわゆる金比羅さまで有名な神社がヒットします。
なぜ同じ名前の神社が虎ノ門にあるかというと、1660年に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、当時の藩邸があった芝・三田の地にご分霊し、その後虎ノ門に移ったとのことでした。
なるほど、そのような経緯で金刀比羅神社があるのですね。
当初は、“金毘羅大権現”と呼ばれてましたそうですが、明治二年(1869年)、神仏分離で事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至るとのこと。
大権現とは、東照大権現などでも有名ですが、神仏習合の時代に使われた言葉だったんですね。調べると、権現とは、「仏が人々を救うために日本の神として現れた」という考え方のようで、大権現はその中でも特に崇高な存在とのこと。
確かに神仏分離の明治以降では使用しにくい言葉ですね~。勉強になります。
ただ、現在も、大権現として残っている場所もあり、消えたわけではないようです。

ビルの狭間に鳥居、素敵です。

早朝のため、暗めです。
飲み過ぎで寝ている人がいました。
神様が好きな人なんですね。
飲み過ぎで寝ている人がいました。
神様が好きな人なんですね。

本殿です。

ビルの狭間に堂々と。


もう一つの鳥居もなかなか良き感じです。

境内社です。

こちらも。
早朝のため、御朱印はまたの機会に。
良かったです。
ありがとうございました。
早朝のため、御朱印はまたの機会に。
良かったです。
ありがとうございました。
すてき
投稿者のプロフィール

ichienyugo38投稿
北海道在住の40代男性です。 2025年2月、御朱印始めました。 北海道の自然と神社の雰囲気が好きでこれまでも主に道内の神社を沢山巡っていました。40代後半を迎え、大病も経験し、その際には沢山...もっと読む
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