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こんじょういん|真言宗豊山派神霊山

金乗院
東京都 学習院下駅

御朱印について
御朱印
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巡礼

その他の巡礼の情報

・江戸五色不動(目白不動)
・関東三十六不動霊場第14番札所
・江戸三十三観音大14番札所
・御府内八十八ヶ所霊場第38番札所
・東京三十三観音霊場第23番

おすすめの投稿

こばけん
こばけん
2023年07月05日(水)
1121投稿

23.07.02。都電荒川線(東京さくらトラム)「学習院下停留所」より徒歩5分。豊島区高田2丁目の住宅街にある真言宗豊山派の寺院。
別称《目白不動》

山号 神霊山

院号 金乗院

寺号 慈眼寺

創建 天正年間
   (1573〜1592)

開山 永順和尚

本尊 聖観世音菩薩像

札所 江戸三十三観音霊場 
   第十四番
   関東三十六不動尊霊場 
   第十四番
   江戸三大不動
   江戸五色不動
   弘法大師御府内八十八ヶ所
   霊場第三十八・五十四番

【歴史】〜Wikipedia より〜
 開基である僧・永順が本尊である聖観音菩薩を勧進して観音堂を作ったのが始まりであるとされている。当初は中野にある宝仙寺の末寺で 蓮花山金乗院と称したが、後に護国寺の末寺になり神霊山金乗院となった。
 江戸時代までは近隣の木花咲耶姫社の別当なども務めていたが、第ニ次世界大戦による戦災で本堂や徳川光圀の手によるものとされる木此花咲耶姫の額などが焼失。現在の本堂は昭和46年に再建されたものである。
 また、目白不動尊は、元々は当寺院のものではなく、1キロほど離れた現在の文京区関口にあった新長谷寺(しんちょうこくじ)という寺院にあったものであった。

 本日4件目の江戸33観音参拝寺院。都合28ヶ寺目。また、関東36不動尊巡りとして6ヶ寺目。法要の準備中の様子でお忙しい中、寺務所の方にご親切にご対応頂き感謝です。

金乗院(東京都)
金乗院(東京都)
金乗院(東京都)

東京さくらトラム
東池袋4丁目停留所にて乗車。初都電でしたので撮影!

金乗院(東京都)

寺院外観

金乗院(東京都)

山門

金乗院(東京都)
金乗院(東京都)
金乗院(東京都)

山号額

金乗院(東京都)
金乗院(東京都)

不動堂

金乗院の地蔵

六地蔵尊他

金乗院(東京都)
金乗院の建物その他
金乗院(東京都)

本堂

金乗院(東京都)
金乗院の建物その他
金乗院(東京都)

弘法大師像

金乗院(東京都)

金乗院(東京都)

寛文6年(1666年)建立。

金乗院(東京都)
金乗院の地蔵

水子地蔵尊

金乗院(東京都)

鍔塚(つばづか)
寛政12年(1800年)に建てられた、刀剣の供養塔。

金乗院の建物その他
金乗院(東京都)

水子地蔵尊

金乗院(東京都)

墓地方向入り口(左側)

金乗院の建物その他
金乗院(東京都)

(右側)

金乗院(東京都)
金乗院(東京都)

墓地内奥に
「丸橋忠弥の墓」☞江戸時代の武士で槍術の使い手で、慶安の変(幕府転覆事件)に加担したとして、由井正雪と共に処刑された。

金乗院(東京都)
金乗院(東京都)

客殿・寺務所
左側の寺務所で直書きの御朱印を拝受しました。

金乗院(東京都)
金乗院の授与品その他

頂いたしおり

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歴史

永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが創建とされます。当初は蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となりました。昭和20年4月13日の城北大空襲で焼失。現在の本堂は昭和46年に再建されたもの。なお、境内の目白不動堂は空襲で焼失した新長谷寺を合併した際に移転してきました

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11
名称金乗院
読み方こんじょういん
通称目白不動尊
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号03-3971-1654
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巡礼の詳細情報

御府内八十八箇所

第38番

御本尊:聖観世音菩薩

御詠歌:

ふだらくやここは岬の船の竿 とるも捨つるも法のさだ山

関東三十六不動尊霊場

江戸三十三観音霊場

詳細情報

ご本尊聖観世音菩薩
山号神霊山
院号金乗院
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代天正年間(1573~1592)
開山・開基永順
ご由緒

永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが創建とされます。当初は蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となりました。昭和20年4月13日の城北大空襲で焼失。現在の本堂は昭和46年に再建されたもの。なお、境内の目白不動堂は空襲で焼失した新長谷寺を合併した際に移転してきました

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