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ドリルうさぎ
2020年03月08日(日)
356投稿

摂社の狛犬さんの尻尾がふっくらハート形で、神社の直線との対比が面白いです。
ビルの屋上のお社は直線と曲線のリズム感、ガラス・金属・木の質感を大切に造られていました。
ヨーロッパの建築家は、制限が少なく自由度の高い日本の現代建築を羨ましいと思っているそうです。こちらの神社のような建築もさぞや憧憬をもってみられていることでしょう。

ホトカミの写真分類で本殿が「建物その他」になっているものが多数あったので分類しなおしました。
もしお参りしていなかったら、本殿拝殿だとは思わず、自分も付属建物だと思っていたことでしょう。行ったことのない寺社の写真分類は難しいので、行ったことのある寺社のみ分類しています。

北谷稲荷神社の狛犬

本殿脇の末社、土師家天満宮をお守りする狛犬さん。

北谷稲荷神社の御朱印

御朱印をお書入れいただきました。

北谷稲荷神社の本殿

拝殿と本殿は一つの建物になっているようです。木部と金属の直線の組み合わせが杉の木のようでもあり、纏のようでもあります。

北谷稲荷神社の鳥居

表参道は渋谷ファイヤー通り側にあります。

北谷稲荷神社の建物その他

灯篭にお狐様の彫刻があります。

北谷稲荷神社の建物その他

登りきると左側建物の影に手水舎、その奥に社務所、正面に南を向いた神社があります。

北谷稲荷神社の建物その他

屋上緑化され、古い石碑などがいくつも置かれています。

北谷稲荷神社の建物その他

拝殿両脇の鉄製と思われる水瓶に雨樋がつながり、雨の日なので瓶の中が満水でした。あふれる水は瓶のオーバーフロー管から排水されるようになっています。
水瓶には龍の彫り込みがあります。

北谷稲荷神社の末社

菅原道真公をおまつりする土師家天満宮(はじけてんまんぐう)と狛犬さん。
「病等にご利益あり、もちろん勉学の神様でもある」という説明があります。

北谷稲荷神社の狛犬

やんちゃな子供に困っているお顔の狛犬さん。

北谷稲荷神社の狛犬

子犬さんは台座から落ちそうなくらいに前のめりです。向かいにある末社の宇田川出世弁財天さまと龍神さまの碑を見たいと言っているようです。

北谷稲荷神社の狛犬

こちらは子供がいないのでゆったりできている狛犬さん。

北谷稲荷神社の狛犬

狛犬さん達の尻尾はハート形です。

北谷稲荷神社の狛犬

社務所のあるビルのガラスに近隣のビルが映り込み、摩天楼の万華鏡です。晴天の日にまた訪れてここからの景色を見てみたいです。

北谷稲荷神社の建物その他

神社から見える窓を開けて御朱印をお願いしましたが、回り込むと社務所にロビーがありそちらにも窓口がありました。風雨が吹き込まず快適です。

北谷稲荷神社の建物その他

代々木体育館や原宿駅に近い裏参道。ここには鳥居がありませんでした。

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歴史

当神社の創立は詳らかではないが、『新編武蔵国風土記稿』によると田中讃岐守直高が文明(1469~87)の頃、駿河(静岡県中央部)より移り住んだ時、その邸内の吉方に神の来臨を請じ迎えて奉ったと記してある。三万坪の御朱印地を拝受したのだが、大永の兵火(1524)に記録を消失し、職員を失った。また萬治三年(1660)大破の際に再建し棟札に武州豊島郡澁谷村稲荷大明神『江戸山王社家小川職部持』とあり、文明以前の鎮守であると思われる。その後承應三年(1654)八月、田中直高六代孫佐平が再建し、寛永五年(1628)四月佐平が再建した。享保十三年(1728)九月松平左京太夫願主として造営し明和八年(1771)同人が再建し、文化元年(1804)九月は拝殿・玉垣を献修した。当社は唇小名北谷の地に在ったことから昔より北谷稲荷という名だった。文政(1818~30)の頃には境内は広く神畑や神園を有していたので「畑の稲荷」とも呼ぱれていた。明治四年(1871)村社に列せられる。また火伏せの神様としても信仰が厚く、他地域よりも火災が少なかったとも伝えられている。その後、事を証する文書や什物は多く残っていたものの、昭和二十年五月二十五日戦災により社殿・社務所・神輿庫・神楽殿その他の全ての建造物を消失してしまう。昭和二十四年九月本殿一部倉亜鉛葦を造営し、同三十三年九月総檜造銅板葦拝殿を造営すると共に社務所、神楽殿を再建した。現在の社殿・建物は老朽化に伴い平成九年十一月に建造された。設計は菊竹清訓設計事務所による。

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北谷稲荷神社の基本情報

住所東京都渋谷区神南1-4-1
行き方
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名称北谷稲荷神社
読み方きたやいなりじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》宇迦之霊大神,《配》大己貴大神,大宮比売大神,神功皇后,大田大神
ご由緒

当神社の創立は詳らかではないが、『新編武蔵国風土記稿』によると田中讃岐守直高が文明(1469~87)の頃、駿河(静岡県中央部)より移り住んだ時、その邸内の吉方に神の来臨を請じ迎えて奉ったと記してある。三万坪の御朱印地を拝受したのだが、大永の兵火(1524)に記録を消失し、職員を失った。また萬治三年(1660)大破の際に再建し棟札に武州豊島郡澁谷村稲荷大明神『江戸山王社家小川職部持』とあり、文明以前の鎮守であると思われる。その後承應三年(1654)八月、田中直高六代孫佐平が再建し、寛永五年(1628)四月佐平が再建した。享保十三年(1728)九月松平左京太夫願主として造営し明和八年(1771)同人が再建し、文化元年(1804)九月は拝殿・玉垣を献修した。当社は唇小名北谷の地に在ったことから昔より北谷稲荷という名だった。文政(1818~30)の頃には境内は広く神畑や神園を有していたので「畑の稲荷」とも呼ぱれていた。明治四年(1871)村社に列せられる。また火伏せの神様としても信仰が厚く、他地域よりも火災が少なかったとも伝えられている。その後、事を証する文書や什物は多く残っていたものの、昭和二十年五月二十五日戦災により社殿・社務所・神輿庫・神楽殿その他の全ての建造物を消失してしまう。昭和二十四年九月本殿一部倉亜鉛葦を造営し、同三十三年九月総檜造銅板葦拝殿を造営すると共に社務所、神楽殿を再建した。現在の社殿・建物は老朽化に伴い平成九年十一月に建造された。設計は菊竹清訓設計事務所による。

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