しんじょういん|高野山真言宗|金鶏山
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楽しみ方真成院のお参りの記録一覧

真成院は、東京都新宿区若葉2-7-8に位置する高野山真言宗の寺院です。四谷駅からほど近い閑静な住宅街にあり、「四谷霊廟」としても知られています。
この寺院の歴史は古く、慶長三年(1598年)に祈祷僧の清心法印によって開山されました4。その後、江戸城外濠工事のため、幕府から四谷に替地として与えられ、現在の場所に移転しました。
真成院は以下の特徴を持っています:
「江戸三十三観音」の第十八番札所であり、潮干観音がご本尊様です。
「四谷の四名所の一つ」として「江戸名所図会」に数えられていました。
都内における室内墓所の先駆けとなった寺院です。
納骨堂は昭和46年に建立され、東京都の納骨堂発祥の寺院として知られています。寺院建築の最高権威者である東大名誉教授の藤島亥治郎氏が建築指導にあたりました。
現在、真成院は新宿の室内霊園・納骨堂として機能しており、家族葬にも適した30席までの客席を備えた斎場を提供しています5。アクセスは便利で、JR中央線「四ツ谷駅」より徒歩7分の場所にあります。

真成院、四谷霊廟です。

江戸三十三観音の台十八札所です。





観音様は階段を上がって屋上です。

狛犬もいらっしゃいます。


潮干十一面観世音様です。

新義真言宗の真成院は、金鶏山と号します。清心法印(正保4年1647年寂)によって開山され、慶長3年(1598年)に創建されました。江戸城外濠の建設に伴い、現在地へ移転しました。当寺の観音像である鹽踏観音(汐干観音)は、村上天皇の守護仏とされています。
● 真成院の歴史
慶長3年(1598年)、清心法印が開山しました。その後、江戸城外濠の開削工事に伴い、現在の四谷に移転。江戸時代には「四谷の四名所」の一つとされました。天保8年(1837年)には、本堂と観音堂が再建されました。
昭和20年(1945年)の空襲により焼失しましたが、戦後に再建され、昭和46年(1971年)に現在の建物が完成しました。また、室内墓地「四谷霊廟」を全国に先駆けて建立し、都市型墓地として注目を集めました。
● 真成院の信仰と文化
当寺の潮干観音(鹽踏観音)は、「江戸三十三観音」の第18番札所の本尊であり、古くから信仰を集めています。さらに、薬師如来は「関東九十一薬師霊場」の第13番札所となっており、病気平癒の祈願寺としても知られています。
● 織田隆弘師の功績
先代住職・織田隆弘師は、16歳で不治の病とされた脊髄カリエスに罹患し、その苦しみから救われるために出家。高野山で修行を積み、正純密教を説きました。
昭和50年(1975年)には信者団体「密門会」を組織し、密教の教えを広めました。また、昭和57年(1982年)には、青森県青森市に青龍寺を建立し、日本最大の青銅製大日如来「昭和大仏」を造立しました。







四ツ谷駅から裏通りへ少し歩いた所にある、真成院様に初めてお参りさせて頂きました。江戸三十三観音の十八番札所です。
白いビルがお寺になっています。1階に寺務所がありますので納経帳をお預けして、ビルの屋上にある観音堂に向かいました。
靴を脱ぎ観音堂内に入ると、観音様がいらっしゃいました。天井には絵が描かれて、お堂の周りには建物が見えず、とても素敵。厳粛な空間で納経することが出来ました!

観音堂へ登る階段です。
狛犬が護っています。

寺務所入り口脇の手水鉢です。

屋上の観音堂です。

観音堂入り口脇の手水鉢です。

お寺様の表札や札所の番号があります。

1階には、延命地蔵様もいらっしゃいます。
植物が元気を出しています。

ここの観音様は、もとは海の近くにいらしていて、足元がいつも濡れていた為に潮干観音様と呼ばれているそうです。

ココロに刺さります。

23.10.07。各線の四ツ谷駅より徒歩8分。新宿区若葉2丁目にある高野山真言宗の寺院。
山号 金鶏山
創建 慶長3年(1598年)
開山 清心法印
本尊 潮干十一面観世音菩薩
札所 江戸三十三観音霊場
第十八番
御府内八十八ヶ所霊場
第三十九番
関東九十一薬師霊場
第十三番
【真成院の歴史】~当院HPより
当寺院は豊臣秀吉が死去した年に当たる慶長3年、祈祷僧である清心法印によって開山、江戸城外壕工事のため、幕府に替地として与えられた四谷に移転し、その後、本堂と観音堂が失われてしまったものの、天保8年(1837年)に再建。その頃に描かれた『江戸名所絵図』では、「四谷の四名所の一つ」に数えらました。
昭和21年5月、空襲によって再び鳥有に帰しましたが、戦後に再建。昭和46年に、現在の寺院に生まれ変わりました。東京の土地事情を鑑み、当時としては珍しい室内墓地 四谷霊廟 を全国に先駆けて建立しました。
江戸33観音巡りの30箇所目として参詣。幹線通りの「新宿通り」の路地を少し入った古くからの住宅街にあり、大都会を感じさせない静かな中で参詣できました。


御影


正面
当寺院は8階建ての鉄筋鉄骨コンクリート造りの堂宇です。

観音堂入り口



観音堂階(4F?)

観音堂入り口

内陣

境内
↓




寺務所入り口前

寺務所入り口

寺務所内

梅窓院から徒歩で25分かかりましたが、普段通る事が無い神宮外苑を抜け、
赤坂御用地の脇を通るなど、東京って見どころ多いな…と思いつつ楽しんで歩きました。
何となく見たことあるな…と思ったら、須賀神社の近くなんですね…
真成院もビル風のお寺ですが、こういったビル風のお寺のはしりなんでしょうかね…
東京で良く見る坂の由縁のチョット先に入り口があります。
玄関から受付へ【既に寺社巡りっぽく無い書き方ですが…】向い、御朱印をお願いに
行くと着物姿の方が「本堂は屋上に有り、扉は開くのでご自由にお参りください」とのこと。
扉の前の鈴を鳴らすと驚く位に大きな音が…【近所迷惑かな…】
本堂は20畳ほどの広さで、私一人なので、それはそれはのんびりとお参りしました。
こちらも御朱印は直書き。今回の3カ所は全て直に書いて頂けました。

梅窓院から徒歩で25分ほどかかりましたが、歩き易かったです。

お寺の脇の坂の由縁

真成院は、3つの札所のようです。

寺務所入り口の前の像

この階段を上がりテッペンに本堂があるそうです。

こちらが本堂。扉の中に観音さまが鎮座してます。


右の狛犬さん

左の狛犬さん

御朱印です。こちらも直に書いて頂けました。

以前もお参りに伺ったことがありましたが、江戸三十三観音巡りとして、18番のこちらへ、改めて伺いました。
先ず一階の受付にて、その旨を伝え、御朱印帳は先に預かってくださり、受付を出て右手の外階段を上がり、3階?くらい(数えなかった…)に観音堂がありました。扉は閉まっていますが、履き物を脱いで上がってお参りできます。上がっていくのも一人なので、そうだったなーと思い出しながら、観音様にお参りさせて頂きました。
「潮干十一面観音堂」ですが、古書によれば、霊験あらたかな観音様とのことだそうです。
お参りを済ませて受付に戻り、御朱印と冊子など頂きました。


















真成院(しんじょういん)は、新宿区四谷にある高野山真言宗の寺院。山号は金鶏山。江戸三十三観音18番札所、御府内八十八箇所39番。
創建は江戸前夜の1598年祈祷僧の清心法印により開山。江戸城拡張工事で四谷に移転。江戸末期の1837年に本堂、観音堂を再建。当時、『江戸名所図会』では四谷の四名所の一つに数えられたとのこと。米軍による東京大空襲で焼失、戦後再建、1971年に現在のビルの寺院を竣工、室内墓地の四谷霊廟を併設。
当寺の観音像は戦国時代の信濃の武将・村上義清の守護観音で、その孫が江戸期に当寺に勧請したもの。当時は海が近く、潮の干満で観音像の台座が常に濡れていたため、「潮干観音」と呼ばれたとのこと。
当寺は、JR四ツ谷駅の西0.4kmほどの住宅街の中にある。坂の途中に建った地上7階建て(?)のビルになっていて、2階が寺務所、4階に観音堂がある(と思われる)。
参拝時は週末の午後で、他に参拝者はなく自分一人だった。

寺院全景。

寺院入口。

入口から左に行くと寺務所入口。

手水。

入口から右の階段を2つ上がると観音堂。

観音堂入口。

観音堂。

須賀神社の次に行きました。
徒歩で3分程です。
江戸三十三観音霊場第十八番目礼所の真成院(しんじょういん)です。
入口に「参拝の方は受付へ」的な事が書いてあったので先ずは受付へ。
江戸三十三観音の巡礼を、と言うと三階に観音があるのでどうぞと。
扉を開けて中も入れますと言って頂いたので、中も見させて頂きました。
御朱印帳を先に預けて三階へ。
鰐口を鳴らして中へ。
お線香のいい香りが漂うなか参拝させて頂きました。
御朱印は500円です。

入口


手水

延命地蔵尊

雨宝稲荷

三階への階段には狛犬が。
寺では珍しいなと思いました。

三階にある手水。
猫のオブジェが可愛い

扉

本尊:潮干十一面観世音

天井の絵
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