あかさかひかわじんじゃ
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赤坂氷川神社ではいただけません
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赤坂氷川神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2020年09月15日(火)
参拝:2020年9月吉日
東京十社自転車めぐり~⑨赤坂氷川神社~
(品川神社)--6.0km--(赤坂氷川神社)--1.0km--(日枝神社)
九社目は赤坂氷川神社にお参りしました。
品川神社からは交通量の多い第一京浜、麻布通りを北上します。
緩やかな坂道が続きペダルを漕ぐ足も疲れてきました。
氷川神社は1729年に吉宗公の命により現在地に建立されたようです。
社殿は戦時中でも被災せず、当時の姿を残しています。
そのため、建立当時の倹約令を反映した質素な社殿を今も見ることができます。
赤坂という都心の立地ながらも境内周囲は非常に閑静です。
それも交通量の多い六本木通りから一本、裏路地に面しているため。
次の東京十社はいよいよ最後の日枝神社へと向かいます。
この時はまだ15:30だったので日枝神社の御朱印も間に合うだろう…
と思っていましたが、これが大失敗します。。。
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東京十社とは「元准勅祭社」にあった十社の総称で、
①王子神社②白山神社③根津神社④神田神社⑤亀戸天神社
⑥富岡八幡宮⑦芝大神宮⑧品川神社⑨赤坂氷川神社⑩日枝神社
の各社になります。
いずれも都内ではエース級の規模を誇る有力社です。
准勅祭社とは1868年に東京鎮護を願って定められた十二社で、
明治天皇からの幣帛もあったほど重要視されていました。
(十二社は東京十社に六所神社・鷲宮神社の二社を加える)
ただ当時の社格でいうと十二社中に式内社はなく、
また官国幣社もないということになります。
(その後1882年に日枝神社が官幣社に指定)
「准」とつくのは、勅祭社はそれはそれで制定しており、
それに併せて指定された経緯があるようです。
ただ准勅祭社の制度は早くも1870年には廃止になってしまいました。
その後1975年に昭和天皇の即位50年を記念して十社巡礼が企画され、
今では観光的な意味合いで広く知られるにいたっています。
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(品川神社)--6.0km--(赤坂氷川神社)--1.0km--(日枝神社)
九社目は赤坂氷川神社にお参りしました。
品川神社からは交通量の多い第一京浜、麻布通りを北上します。
緩やかな坂道が続きペダルを漕ぐ足も疲れてきました。
氷川神社は1729年に吉宗公の命により現在地に建立されたようです。
社殿は戦時中でも被災せず、当時の姿を残しています。
そのため、建立当時の倹約令を反映した質素な社殿を今も見ることができます。
赤坂という都心の立地ながらも境内周囲は非常に閑静です。
それも交通量の多い六本木通りから一本、裏路地に面しているため。
次の東京十社はいよいよ最後の日枝神社へと向かいます。
この時はまだ15:30だったので日枝神社の御朱印も間に合うだろう…
と思っていましたが、これが大失敗します。。。
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東京十社とは「元准勅祭社」にあった十社の総称で、
①王子神社②白山神社③根津神社④神田神社⑤亀戸天神社
⑥富岡八幡宮⑦芝大神宮⑧品川神社⑨赤坂氷川神社⑩日枝神社
の各社になります。
いずれも都内ではエース級の規模を誇る有力社です。
准勅祭社とは1868年に東京鎮護を願って定められた十二社で、
明治天皇からの幣帛もあったほど重要視されていました。
(十二社は東京十社に六所神社・鷲宮神社の二社を加える)
ただ当時の社格でいうと十二社中に式内社はなく、
また官国幣社もないということになります。
(その後1882年に日枝神社が官幣社に指定)
「准」とつくのは、勅祭社はそれはそれで制定しており、
それに併せて指定された経緯があるようです。
ただ准勅祭社の制度は早くも1870年には廃止になってしまいました。
その後1975年に昭和天皇の即位50年を記念して十社巡礼が企画され、
今では観光的な意味合いで広く知られるにいたっています。
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御朱印。今回の東京十社めぐりの中では王子神社とここ赤坂氷川神社だけ直書きしていただけました。
鳥居と社号標。
鳥居。
神社の御由緒書。御祭神は素戔嗚尊、奇稲田姫命、大己貴神。社殿が現在地に建てられたのは江戸時代(1729)で、八代将軍吉宗公が老中水野忠之に命じて、とあります。
楼門。楼門とありますが2階建のようには見えません…建築上も楼門の分類になるのでしょうか。
拝殿。社殿は権現造で、本殿・幣殿・拝殿が一体化しています。拝殿は桁行5間、梁間3間の入母屋造りで、銅板葺きの屋根になります。唐破風付きの向拝が一間張り出します。
唐破風は小規模なうえに派手な千鳥破風などはなく、根津神社と比べるとおとなしい印象です。それもそのはず、当時の幕府は8代将軍・吉宗公。建築当時は享保の改革をおこない倹約令を出していました。社殿も質素な造りになっているのは歴史を感じます。
境内の大イチョウ。樹齢は400年を超える巨木です。
大イチョウの説明書き
赤坂という都心の立地ながら社叢は豊かで、巨木もちらほら残っているのが素晴らしいです。
すてき
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