そくせいじ|真言宗豊山派|愛宕山
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楽しみ方即清寺のお参りの記録一覧

地蔵院さんの近くに立派なお寺がありました。
ホトカミで近くの御朱印を検索して、お参りしました。
(御朱印第462号)

直書き
ほとんどゴム印でちょっと残念


立派な本堂


本堂天井

即清寺(そくせいじ)は、東京都青梅市にある真言宗豊山派の寺院。山号は愛宕山。本尊は不空羂索明王。関東八十八ヶ所霊場71番札所。
寺伝によると、平安時代の初めに智証大師円珍が諸国巡錫の折に、堂山と呼ばれる現在の奥ノ院大師堂付近に、不空羂索明王像を刻んで草庵を結んだのが始まり。その後、鎌倉時代に源頼朝が畠山重忠に命じて現在地に伽藍を造営し、僧・元瑜法印(げんゆほういん)を招いて開山した。のちに一時廃れるが、室町時代に高野山無量光院住持を務めた僧・印融によって中興され、真言道場として繁栄した。江戸時代末期に融慧和尚が四国八十八ヶ所巡礼を行い、その砂を持ち帰って裏山の愛宕山に納め、四国八十八ヵ所霊場を開いた。明治時代1898年の火災により伽藍は焼失したが、本尊をはじめ仏像は被災を逃れたとのこと。
当寺は、JR青梅線・二俣尾駅の南方1.5kmほどの愛宕山の麓にある。幹線道路(都道45号線)から少し入った場所に大きな境内を構えている。参道周辺を含め、草木はきれいに整えられていて気持ちが良い。
今回は、関東八十八霊場の一つであること、『東京百の古寺と古社をめぐるガイド』という書籍に記載のある古社であることから参拝することに。参拝時は週末の夕方で、子供連れの家族など、数組の参拝者が来ていた。
※2021年5月に参拝した愛宕神社(青梅)は、平安時代の元慶年間(877年~884年)に即清寺の守護のために創建されている。ともに1100年以上存続しているのはすごい!

大通りから少し逸れたところにある境内入口。本堂は小高い場所にある。

参道を進むと階段の先にある大きな<仁王門>。

仁王門には<愛宕山>の扁額が掛かる。

左側の<吽形仁王像>。

右側の<阿形仁王像>。

仁王門をくぐると、階段の上右手に<鐘楼>と<本堂>が見える。

仁王門をくぐると、階段手前左側に<慈母観音像>。

階段を上がって、斜めから<本堂>全景。それなりに年季は入っているが、大きく綺麗で立派、

本堂の右手にある<袴腰鐘楼>。

<本堂>全景。堂内には明治期の火災を免れた、江戸期・享保年間造立の百観音が祀られている。

<本堂>正面。<即清寺>と書かれた扁額の字体が個性的で美しい。

<本堂>の前、左手にある<弘法大師像>。

仁王門からの階段を上がって突き当りにある、<山内新四国八十八ヶ札所 一番>。境内裏手の愛宕山に八十八の札所がある。

仁王門からの階段を上がって左前方向に進むと<客殿(納経所)>。御朱印はこちら。

仁王門の近くにある、1473年の銘がある石碑。

関東八十八ヵ所霊場・第七十一番 即清寺です。
塩船観音からバスを乗り継いで、2ヵ所目のお寺です。
東京都内ですが、此方まで来る事はなかなか無いです。
ただ、コロナになり都民の青梅方面への旅行はかなり増えた様です。
電車やバスの本数も思っていたよりも多く、移動は楽でした。
本堂をお参りしてから御朱印を頂き、お寺の女性とちょっと雑談。
その後、境内から続く『新四国八十八か所』の『奥ノ院 太子堂』に行きました。
(八十八か所、全部巡りたかったのですが、小雨が降って来たのと、往復2時間弱掛かる事、
何の準備もしていない&他に人も見掛けないので、何かあったら…!!
と思い、途中で諦めました。)
気を取り直して、近くにある『愛宕神社』をお参りしてから脇道で『(境外不動堂)久石山不動尊』へ。
Google mapでは行き止まりの道になっていましたが、
ここで大丈夫かなー?と思いつつ…繋がっていました。
先程、お話をさせて頂いたお寺の女性は行かれた事が無いそうです。
それに、お寺や神社をお参りしていた方々も誰も来られません。
『勿体ないなー。』
凄く気持ちの良い場所でした。
こちらの方面に行かれる事があればお勧めです。
次は【金剛院】へ向かいます。

『本堂』

参道

『山門』

『山門』

『山内新四国八十八か所霊場〜第四十一番 龍光寺』

『奧ノ院 太子堂』

『不動尊』への道。
神社側の脇道から行ったので、こちらは帰り道でマップに載っている道です。

『久石山不動尊』
この日は、1社4寺お参りをしましたが、一推しです。

関東88カ所霊場 第71番札所 即清寺
寺伝では、平安時代のはじめ、智証大師円珍が諸国巡錫のおりに、堂山と呼ばれる現在の奥ノ院大師堂のあたりに、不空羂索明王像を刻んで草堂を結んだのが始まりとされている。
本尊の不空羂索明王は三面四臂の憤怒形で、不空羂索観音の慈悲と明王の諸魔降伏の力を併せ持つとされる。その後、鎌倉時代に源頼朝が畠山重忠に命じて、現在地に伽藍を造営して、僧・元瑜を招いて開山した。
室町期には高野山無量光院住持を勤めた、僧・印融により中興され、真言道場として栄えた。仙保隠遁抄第一巻はその時の著作といわれる。明治31年の火災により建物はすべて焼失したが、庫裡客殿、本堂、山門が再建され現在にいたっている。本尊をはじめ仏像は被災を免れ、本堂内には百観音と呼ばれる享保年間造立の百体の観音像が祀られている。大日如来を中心に花鳥風月をちりばめた天井画は平成の作であるが、西洋画家二人と日本画家一人の合作という珍しいものである(関東88カ所霊場HPより)

寺号標

山門


六地蔵左右に3体づつ鎮座している


観音さま

境内

鐘楼

本堂


お大師さま
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