そくせいじ
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即清寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2020年09月28日(月)
参拝:2020年9月吉日
関東88カ所霊場 第71番札所 即清寺
寺伝では、平安時代のはじめ、智証大師円珍が諸国巡錫のおりに、堂山と呼ばれる現在の奥ノ院大師堂のあたりに、不空羂索明王像を刻んで草堂を結んだのが始まりとされている。
本尊の不空羂索明王は三面四臂の憤怒形で、不空羂索観音の慈悲と明王の諸魔降伏の力を併せ持つとされる。その後、鎌倉時代に源頼朝が畠山重忠に命じて、現在地に伽藍を造営して、僧・元瑜を招いて開山した。
室町期には高野山無量光院住持を勤めた、僧・印融により中興され、真言道場として栄えた。仙保隠遁抄第一巻はその時の著作といわれる。明治31年の火災により建物はすべて焼失したが、庫裡客殿、本堂、山門が再建され現在にいたっている。本尊をはじめ仏像は被災を免れ、本堂内には百観音と呼ばれる享保年間造立の百体の観音像が祀られている。大日如来を中心に花鳥風月をちりばめた天井画は平成の作であるが、西洋画家二人と日本画家一人の合作という珍しいものである(関東88カ所霊場HPより)
寺伝では、平安時代のはじめ、智証大師円珍が諸国巡錫のおりに、堂山と呼ばれる現在の奥ノ院大師堂のあたりに、不空羂索明王像を刻んで草堂を結んだのが始まりとされている。
本尊の不空羂索明王は三面四臂の憤怒形で、不空羂索観音の慈悲と明王の諸魔降伏の力を併せ持つとされる。その後、鎌倉時代に源頼朝が畠山重忠に命じて、現在地に伽藍を造営して、僧・元瑜を招いて開山した。
室町期には高野山無量光院住持を勤めた、僧・印融により中興され、真言道場として栄えた。仙保隠遁抄第一巻はその時の著作といわれる。明治31年の火災により建物はすべて焼失したが、庫裡客殿、本堂、山門が再建され現在にいたっている。本尊をはじめ仏像は被災を免れ、本堂内には百観音と呼ばれる享保年間造立の百体の観音像が祀られている。大日如来を中心に花鳥風月をちりばめた天井画は平成の作であるが、西洋画家二人と日本画家一人の合作という珍しいものである(関東88カ所霊場HPより)
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