真言宗・豊山派梅香山
大聖院のお参りの記録一覧
多摩八十八ヶ所の番外の第百番。
なんで即清寺さんの近所なのに、河辺のお寺さんなの?って想えるが
お寺さん、宗旨相違だったり、
テリトリーというか、町内会の地域が、川隔てて、即清寺さんと
分かれているそうな。
このあと、即清寺さんに多摩八十八ヶ所及び奥多摩八十八ヶ所の満願お礼
行きました。
そこで、お坊さんがいうには、本場の四国地方の霊場も八十八ヶ所以外に
二十箇所くらい、番がいがあり、百八の煩悩を切る事が出来ると
云われている。
即清寺さんのお坊さんも隣のお寺さんが、多摩八十八ヶ所の番がいとは
知らないみたいな感じだった。
ほんとに、いまは代替わりしていて、新四国霊場の多摩八十八ヶ所の札所の
八十九〜百八札所が宙に浮いた札所になっている。
この大聖院さんが札所になり得た理由として、
①四国の霊場から移した仏様がある!
②移した仏様のお堂がある。
③青梅の梅の起源の梅がある!(境内庭園)
河辺の真浄寺さんが管理者。前の日に戴き、一日かけ参拝。
河辺の真浄寺のお若い住職さんが親切に教えて、くれた。
四国地方の移したという延命地蔵尊堂
延命地蔵尊堂のナカデ般若心経唱えた。
延命地蔵尊堂
山門看板
お寺さん歴史の石碑
お寺さん境内は梅の郷のオープンガーデンだった。
山門
山門近所の青梅市マンホール
バス停からお寺さんと墓地向かった道。
本堂で御朱印前置いて般若心経唱えた。
青梅市の梅の元となった木があった。
真浄寺さんが出してくれた、この大聖院さんの御朱印は、先代の御住職文字をコピーされたモノなので、これに閉じるのだそう。
同じ梅郷6丁目にある八坂神社と合わせてお参りしました。
創建年代は不明で、街道を挟んで反対側の即清寺の塔頭だったとも、青梅の金剛寺の末寺として創建されたとも伝わっていますが定かではないようです。慶安年間(1648~1652年)金剛寺の末寺として朱印状を賜ったところから確かな記録が残っているようです。
本堂は天保3(1832)年の建立でご本尊は不動明王です。
地蔵堂は平成28年に建て替えられました。
地蔵堂のお地蔵様は明治22(1889)年、時の住職が檀信徒の子孫長久を願い、四国八十八ケ所19番札所、立江寺のご本尊を模して、安置されたそうです。中に安置されている古い絵馬から、地域の信仰を集めていたことがうかがえます。
吉野街道の大通りを反対側に渡り、大きな長屋門が目印の観梅通りを北に300mほど歩くと、地域の鎮守の八坂神社があります。かつてこの場所には木造の鳥居が建っていました。
200mほど進むと、道しるべの石灯籠があります。左の山道が愛宕山への道、右手が牛頭天王、現在の八坂神社への道であることが刻まれています。八坂神社に至る右手の舗装道路はかつての鎌倉街道です。
石灯籠の道を左に行くと古めかしい門があります。
熊野権現など、地域に散在していた小さなお社を一か所に集めてお祀りしているそうです。寄り道して参拝しました。八坂神社へは元の石灯籠のところに戻ります。
林道になり、車は入れませんが、歩いてお参りに行くことは可能です。右に曲がっていく車道は、橋を渡るとすぐ即清寺があり、車が停められます。
林道を進むと右手に鳥居と石段が見えてきます。
梅郷6丁目の鎮守、八坂神社です。創建年代は不明ですが江戸時代には牛頭天王と呼ばれて鎮座していたようです。明治に入り八坂大神と改称し、現在は梅郷八坂神社となっています。社殿は平成3年に火災に遭い全焼してしまい、平成5年に再建されました。
八坂神社のご祭神、牛頭天王は疫病を鎮める神様なのでしっかり手を合わせてきました。
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