あきるじんじゃ
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楽しみ方阿伎留神社のお参りの記録一覧

延喜式神命帳に武蔵國多摩郡の八座の筆頭に記されている神社です。

この地の開拓がはじまった頃、出雲國造の支族といわれる土師連男塩(はじのむらじおしお)という人物が氏神をお祀りし、初代の神主を務めたことが始まりと伝わります。

現在の社殿は、天保元年(1830)の大火で境内が全焼した後、明治二十一年(1888)幕末の頃からの政情不安も落ち着いたのを見計らって、建立されたものです。

天慶三年(940)藤原秀郷が春日明神の御分霊をお祀りしてから、源頼朝、足利尊氏、小田原北条氏、徳川将軍家と、関東にゆかりの深い武将からも篤い信仰を得た神社です。

玉取の狛犬です。

もう一方は子取の狛犬です。

境内社の白光稲荷神社です。大小の攝末社が境内に点在しています。

天慶三年(940)藤原秀郷が春日明神の御分霊をお祀りしてから、源頼朝、足利尊氏、小田原北条氏、徳川将軍家と、関東にゆかりの深い武将からも篤い信仰を得た神社です。今の御祭神は大物主神、阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)建比良鳥命(たけひらとりのみこと)天児屋命(あめのこやねのみこと)の四柱です。国の繁栄、五穀豊穣、子孫繁栄、勝負事などにご利益があるそうです。

阿伎留神社⛩️へお参りしました(。・人・`。)
武蔵五日市駅からお散歩🚶♀️しつつお参りしました♪
住宅街の先にあり、緑深い杜に囲まれていて境内摂社もいくつもある歴史を感じる神社でした〜
御朱印対応はしておりませんとの張り紙ありました
境内社や社務所の方は緑の季節だからかかなり鬱蒼とした雰囲気でしたが、拝殿周りは綺麗に掃き清められていて清廉とした雰囲気でした♪
怪獣みたいな鳥の鳴き声がしていて、何の鳥なんだろう?と気になってます〜🐧











神輿殿の彫刻
どれも表情豊かでちょとコミカル楽しそう(。・ω・。)


魚🐟?の悪そうな顔が笑



広徳寺の坂を下り、来た道を戻る。
多摩川を超えたところの右側にあります。
ググるとかなり遠回りなのですが、見回すと階段があり、
神社への近道のようです。
拝殿は開いているのですがどなたもいらっしゃらないようでした。
神輿蔵には八基のお神輿が格納されており、この地域の鎮守として
地域の方々からも慕われている神社のようです。
※コロナになってからは、御朱印をやめたとのことでしたので、
お参りの後は駅に向かいました。

神社への近道?

結構険しい階段…

階段を登りきると突然神社です。

神楽殿

由緒

拝殿

右の狛犬

左の狛犬

拝殿の右側にある神輿蔵の右わきに飾られている四神獣の、白虎と朱雀

神輿蔵の左わきに飾られている四神獣の、玄武と青龍

この神輿蔵には大小合わせて八基のお神輿がありました。


石標

石の鳥居

阿伎留神社(あきる~)は、あきる野市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は大物主神 (おおものぬしのかみ)、味耜高彦根神 (あじすきたかひこねのかみ)、建夷鳥神 (たけひなとりのかみ)、天児屋根命 (あめのこやねのみこと)の4柱。
創建は不詳。社名の由来を「畔切(あきる)」として、当地を開拓し農耕を始めた人々によって祭祀が始まったと考えられている。国史の初見は平安時代前期884年に『日本三大実録』で神階昇叙についての記載がある。927年の『延喜式神名帳』には「武蔵国多磨郡 阿伎留神社 小」と記載されている。鎌倉時代以降は武家の崇敬を受け、源頼朝、足利尊氏、後北条氏から神領の寄進を受けた。徳川家康が江戸に入府すると、1591年に10石の朱印地を受けた。明治時代に入ると近代社格制度の郷社に列し、1907年には神饌幣帛料供進社に指定された。
当社は、JR五日市線の終点・武蔵五日市駅の南西1kmの、秋川の河岸段丘上にある。幹線道路・都道33号線から少し入った住宅街の外れの林がまるごと境内という感じ。境内は草木が鬱蒼と茂っていて、あまり手が入っておらずワイルドな感じ。大きく立派な社殿と神輿舎を中心に、周りをいくつかの境内社が囲んでいる。
今回は、実は2回目の参拝。ネットでは社務所で御朱印を拝受可能と出ているが、前回参拝時は社務所の場所に気付かず御朱印をもらい損ねたので、御朱印をもらうためにあらためて参拝することに。今回は社務所を発見したが、誰もいなかったようで結局御朱印を拝受できず。御朱印の投稿記録も数年前以降ないため、もしかすると現在はやっていないのかも。参拝時、自分以外に夫婦と思しき男女が参拝していて、御朱印目当てに社務所を探しているようだった。

境内入口の<鳥居>と<社号標>。

鳥居を抜けて進んだ突き当りの<舞殿>。

舞殿の手前で右に90度曲がると<社殿>が見える。

社殿に向かって左側にある<手水舎>。

階段を上がって<拝殿>全景。大きくて立派。

<拝殿>正面。拝殿・本殿は1830年の五日市大火で焼失、その後幕府のバックアップで再建を進めようとしたが、明治維新で頓挫。1888年にようやく再建が実現したとのこと。

拝殿の右手には<神輿庫>。9月28日から30日に開催される例大祭「五日市祭」で繰り出される神輿(珍しい六角神輿を含む)が飾ってある。ガラス張りになっていて見やすい。

<社殿>全景。

拝殿の左脇にある<祓戸神社>。案内板には『このお祓い用の大麻を左右左と振って、御自身をお清めください』と書かれてあり、お祓い用の大麻が置かれている。参拝者自身でここでお祓いをして身を清める。

祓戸神社と舞殿の間の奥にある<社務所>。宮司さんは今回もご不在...涙

舞殿の左手にある<大鳥神社>。鎌倉時代1183年に創建。1830年の五日市大火で焼失。再建時、同じく焼失した若電神社、熊野神社を合祀。なお、若電神社は国史『日本三大実録』の平安時代初期864年条に「若電神」として記載されている由緒ある神社。

拝殿裏の<本殿>。しっかりした石垣の上に鎮座している。

本殿裏にある<松原天満宮>。

入口付近、鳥居くぐってすぐ右手にある<占方神社>。

社号標の裏手、境内の南側の景色。河岸段丘の低地が見える。

(参拝2回目(2021年5月1日)分を先に投稿済み)
当日が初参拝。この日は奥多摩にバイクでツーリングに出掛け、奥多摩と青梅の神社を回る計画であったが、中央道の渋滞が思いのほかひどくて、予定外のルートをたどり、あきる野市通過時に、近くに当社があることを思い出し、プラン外で参拝することに。
プランをしてから参拝する場合には、事前に御朱印の有無を調べるが、今回は気まぐれで参拝したため、境内で社務所を探してはみたものの、人の気配がなかったので御朱印は諦めることに。後でネットで調べると、御朱印は存在することを確認。残念...涙
※2回参拝しても、御朱印は拝受できず。少なくとも令和元年8月には御朱印はあったようだが、現在はなくなってしまったのだろうか…

境内入口の<鳥居>と<社号標>。配置が他と異なり変わっていて、境内南東角に鳥居が東向きに立っていて、参拝者は西向きに入る。社殿は南向きなので、途中で北向きに曲がる。

鳥居をくぐると、突き当りに見えるのは<舞殿>。

鳥居をくぐってすぐ右側にある<占方神社>。

参道を進み、右側にある<手水舎>。

手水舎の先で右(北)に向きを変え、階段を上がると<拝殿>。地面が<レフ板>のようになっていて、拝殿に下から太陽の反射光が当たり、非常に美しく見える。

拝殿正面の<阿伎留神社>と書かれた扁額。

拝殿の右手にある<神輿庫>。

神輿庫の右側に飾られている木製彫刻。四神のうちの<白虎>と<朱雀>。

神輿庫の左側に飾られている木製彫刻。四神のうちの<玄武>と<青龍>。

神輿庫から<社殿>を望む。

ふたたび<拝殿>全景。大きくも端正な出で立ち。

拝殿の左隣にある<祓戸神社>。本社参拝前にこちらを参拝するのが正式な順序なのかな。

社殿の裏の西側にある<白光稲荷神社>。

社殿の裏の東側にある<松原天満宮>。

御朱印を拝受できなかったので、また来なければ。当社は奥多摩の手前にあるので、奥多摩ツーリング前に立ち寄ることになるかな。。。

あきる神社と読みます。あきる野市の「あきる」ですね。大物主神がご祭神です。本殿の写真がなくてすみません。
写真は末社の大鳥神社です。石組みに建つ社の古さと落ち葉のかかり方にしめ縄の紙垂の白さとのバランスに漂う雰囲気がなんとも素敵です。
大鳥の名前から日本武尊が祀られていると思ってましたが、後日調べてみたら思兼神(オモイカネ=高皇産霊神の子)・大名持神(オオナモチ=大国主)・事代主神(コトシロヌシ=大国主の子)の社殿でした。
いろいろと合祀されているようで境内には末社もたくさんあり、ご祭神の大物主はじめ味耜高彦根神・建夷鳥神・天児屋根命などなど國譲りに関わる神様が多く出てきてワクワクします^^
寒い時期でしたので、この後、少し先の秋川渓谷の瀬音の温♨️の温泉に寄りました。(クルマ移動です)
大鳥神社
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