けいしょういん|真言宗豊山派|白部山
慶性院のお参りの記録一覧
![平成元年ママ](https://minimized.hotokami.jp/jLueldpu5LIvb9RAVcTSDtQqnqx7e5-4dXpMCWX0Yfg/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user-optimized.s3.amazonaws.com/20200109-064616_6dJAI5ovda.jpg@webp)
花まつりで、甘茶、及び、
檀家総代さんの寄附のお花いただく。
今回からこの場で甘茶、飲めるようになり、
お持ち帰り用インスタント甘茶無し。
お寺さん奥さまがお話下さった話によると、
ホーホケキョの音がまだまだ練習中らしいので、
ケキョ、キョ等に鳴って居るとのこと。
まだまだ性徴期(成長中?)だろうか。
奥多摩八十ハ箇所巡り、御礼詣り。
この間、製本した御朱印帳1冊おさめる。
瑞穂町の博物館みたいに山野草育てるお寺さん。
関東大震災の時に、このお寺さん、湖底から
この地域移転してきて、
此処で本堂、お堂など建築中だったそう。
その時の、足場などが相当揺れたらしいと
お寺さんの奥様語って下さいました。
もともとは、武蔵村山のお寺さんの末寺で、
真義真言宗豊山派だったようです。
いまは中野宝仙寺と同じ豊山派に成っている。
真義真言宗と真言宗豊山派は
同じ宗派っだったもよう。
来るたび新たな発見くださるお寺さん。
山門、花まつりのお言葉。ホーホケキョと聴こえたけど、
お寺さんのお言葉はつばめ。
山門に花まつりご案内。
境内、シャクナゲ。
奥多摩八十八ヶ所大師堂。ご挨拶。
薬師如来堂前におみくじが出来ていた。
ダイオウソウという松。
ダイオウソウ松は、お釈迦様のお話のいわれある。
三つに別れていらっしゃるから。
大正時代地震あったときに、このお寺さんは移転してきた。
その時に造られた石塔。
2023/04/08のいただいたお花、ベコニア。
境内の花。
えびねの花の花壇。
エビネ
これは、空堀川沿い。
空堀川沿の「すずらんずいせん」
檀家さんが、丁寧に居れて下さった、ベコニア育て方。
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灌仏会、お釈迦様生誕祭。
奥多摩八十八ヶ所巡礼札所及び多摩八十八ヶ所巡礼札所。
もともと、昭和のはじめ戦前まで現在山口観音のある辺りの山に
あったお寺さまが、昭和の多摩湖建設によって、現在の位置に、
降りてきたお寺さま。
門番が生活を出来るくらいのおおっきい、
武家屋敷のような、山門も〜、
此方へ移転されたかったようですが、
狭山スキー場のそばに文化財として保護されたとのこと。
新青梅街道と青梅街道の間にあるお寺さま。
山門のところに幟有りました!
2022年4月8日花まつり。
綺麗にデコレーションされたお庭のひとコマ。
奥多摩八十八ヶ所の佛さまも心から喜んで居られる様な?
珍しい、天然記念物の“フジザクラ”だそう。どうだんつつじのような桜。
ミツバ躑躅も満開。
お檀家さんが毎年、花まつりに奉納されて、参拝客に配布されていらっしゃる。
参拝客に配布される、“甘茶のティパック”など。
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去年満願した、多摩八十八箇所にて行った時、
此処の女将さんに、奥多摩も有りますよ。と言われたけど
その時は多摩八十八箇所も、仕事合間に行くのが大変なんで
そちらは良いと行った気がしたが、奥多摩八十八巡りで来てしまった。
多摩八十八やる前は、奥多摩八十八札所があるなんて知らなかった。
それが、ひょんな所のインターネット古本屋で、多摩八十八箇所札所巡りの
昭和に書かれた本に出逢って、此処のお寺でも女将さんに
瑞穂町に開所札所あると聞いて、武田弥兵衛氏の家にまで行き、
この武田さまに造られたと看板に書いてあったのを観た、
さらに山口観音さんで、その武田さまは自ら石仏造ってかついでそれぞれの
お寺に配置されたとの事。
多摩八十八箇所札所は、高幡不動さまにより観光化されて居るのに対し
奥多摩八十八箇所は、
武田弥兵衛氏が自らの信仰により、
弘法大師御遠忌千二百年を記念して開創した霊場と云う事で
地元民として育った“多摩民族”としてはいかないならない気がするのだ。
もちろん保育園から家族でハイキングしたりした所なのではあるが
御岳山も小学校三年の遠足なのであるが、
このように、プラス知識化されると、歴史の重圧も感じるのだ。
マイナーなごく一部の人だけでなく、後世に語り継ぎたい歴史的霊場。
霊場は昭和の始めに出来たのだが、戦国時代の武田信玄一族や、
その下にいた地方豪族三田一族は北条氏にやられてしまった豪族一族で
この霊場は、江戸時代の徳川時代にそれぞれのお寺で祀られながら
ひっそり語られていたモノを武田弥兵衛氏さんらが体系化されたのだった。
此処は上北台駅からも徒歩約十分少々で来られる場所であり
歴史散歩に容れて欲しい。
また来てしまった。今度は奥多摩八十八箇所にて。
奥多摩八十八箇所巡りの昭和に書かれたガイドブック(予習本)
此処の奥多摩八十八箇所の仏様にも位前来た時、お祈りしている。
そう、またきました。
奥多摩八十八箇所の名前入りの立て札には阿弥陀如来さまとある。
奥多摩新四国八十八箇所札所と書いてあるが薄くなっていた。
横からの仏様。
慶性院南側山門。
山門の場所の紅葉綺麗。
奥多摩八十八箇所の特製の冊子をコピーして2021-11-29日付容れて書いて頂いた御朱印。
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花まつり素敵。
其処で跡継ぎ?らしい若い住職さん(?)曰く
もともと此処のお寺は、此処じゃなくて、多摩湖の湖の中の場所だったとか。
大正時代、此処に移転の時に土台造っている際に被災。
建築家が最善尽くして、お寺建築されて、今に至る。
(平成の東日本震災を超えて今に至って居るんだからけっこう丈夫に想える)
花まつり来て良かった。御礼参りの時、花まつりポスター観て、
いつもは、花まつりは薬用植物園のある国分寺へ行く所、此方きた。
参拝者には、此処の“檀家様”提供するお土産付き。
(お檀家さまは徳を積んでいらっしゃる、何処のオーナー様か秘密らしい)
此処の甘茶は甘茶蔓と甘草など
先代、先々代から伝わるブレンド茶と話してくれた。
本堂前の南側入口
境内含む本堂全体。
本堂前に飾るお釈迦と献花と甘茶。
本堂前のお祀りご供養。
花まつりに参拝者に配られたお花、お風呂屋さんに行って常連さんの女性に差し上げました。
参拝して住職さまのお話を庭にて聴いて戴いた甘茶テーパック。
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本日亡父命日の為と去年満願のお遍路御礼詣り。
以前小平市内のお寺で番外あると聞いたが
このお寺住職さん言うには、
番外があるのは奥多摩八十八巡りだそうな。
東京都みずほ町が一番。
山門、御神木が立派。
道路沿の塀、多摩新四国八十八遍路の時は気が付かなかった。
そうだ、八日はお釈迦さまの誕生祭の“花まつり”
ミツバツツジまだ咲いていらっしゃる。
本堂の壁にも花まつりのポスター。
近所のお豆腐屋さん(日曜で休みだった)前の道路、歩道。
芋窪街道沿いに馬頭観世音像あり。
モノレール駅で一休み
![惣一郎](https://minimized.hotokami.jp/3Vdpgvm3BqTBcQ6S39vEplwunQjRbDAbsRw-4rQkp9k/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user-optimized.s3.amazonaws.com/20220104-044828_ONneG4EPg3.jpg@webp)
慶性院(けいしょういん)は、東京都東大和市にある真言宗豊山派の寺院。山号は白部山、寺号は医王寺。本尊は不動明王。
寺伝によると、開基は室町後期の1547年羕尊上人による。また開山は安土桃山時代末の1601年羕秀上人による。当時の本尊は薬師如来。18世紀中ごろに本尊を不動明王とし、薬師如来を奥之院に祀った。当時は神仏習合で境内には白山大権現も祀られていた。大正時代1923年に多摩湖(村山上貯水池)の建設に伴い現在地に移転したとのこと。(東大和市HPより)薬師如来は、眼病平癒に御利益があるとされて来た。
当寺は、西武拝島線・玉川上水駅から北に2.5km、大規模開発をした新興住宅街の外れにある。境内は広そうだがほとんどの部分は墓地。本尊は年に一度しか開帳しないらしい。
参拝時は平日の夕方で、参拝者は自分以外には誰もいなかった。
寺院入口。入ると手前が駐車場、奥が境内。
入口入ってすぐ右手にある像。
駐車場から境内を望む。本堂前の紅梅がきれい。
本堂の南側(上写真の左側)に正式な寺門がある。
寺門をくぐると<本堂>。御朱印は本堂右隣の寺務所(庫裏)にて。
本堂内を覗いてみると、本尊の<不動明王>の扉が閉まっていた。
本堂に向かって左側にある<薬師堂>。薬師如来を祀る。不動明王の前の本尊。
本堂に向かって左奥にある<鐘楼>。
入口入って右側奥にひっそりと鎮座する<白山大権現>。
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札所巡りで来た。
・多摩新四国霊場 第四十一番札所(←ワタクシ、此れ)
此れだけでも今必死だよ。
・奥多摩新四国霊場 第七十八番札所(←此処奥多摩もある)
かつて東京都の御府内八十八巡りや秩父観音巡りやったし
もう奥多摩迄出来ない。
・狭山三十七薬師霊場 第三十六番札所(←此れはパス)
次の札所も30分くらい歩くと行き着けると聞いて
“写経”予備も無く、半紙も無くなってしまって“納経”出来ないが
後で郵便で送ればいいかって思い前へ進む事にした。
グーグルマップに“白山大権現”とあるのでどんな修験道神社かと
思いきや? ちょっと“小さな”祠だけであった。
小さくても厳かな神社に思えたので挨拶してきた。
このお寺の境内に在る。
正門
多摩新四国霊場と奥多摩新四国霊場の石碑が正門にある
水天さまの説明書看板
この鐘つき堂は参拝者が一打祈込め出来る。
本堂
境内の一部 山門が可愛い。
御志納300円。
白部山慶性院醫王寺。承秀(慶長6年/1602年寂)が開山となり創建したと云われています。真言宗豊山派の寺院で、御本尊は不動明王です。村山貯水池の建設に伴い大正11年(1922年)、旧地の石川の里(上貯水池)から現在地に移転しています。江戸時代末期に建立された水天像は、東大和市重宝です。駐車場と駐輪場もあります。
山門
山門の扁額
本堂
本堂の扁額
観音堂
鐘楼
おつげ乃樹
江戸時代末期建立の水天像
水天像
駐車場・駐輪場
東京都のおすすめ2選💠
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