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とくぞうじ|臨済宗大徳寺派

徳蔵寺のお参りの記録一覧
東京都 東村山駅

タケ
2021年09月17日(金)
491投稿

鎌倉街道散策(東村山〜西所沢)3 

【散策ルート】
 東村山駅〜①大善院〜②正福寺〜③徳蔵寺〜④久米川古戦場跡〜⑤将軍塚〜⑥悲田処跡公園〜⑦仏眼寺〜⑧鳩峯八幡神社〜⑨水天宮〜⑩永源寺〜西所沢駅

 正福寺より徒歩20分程。住宅地の中を縫う様に進む。徳蔵寺の前に関電工のトラックが2台工事中。その後にも影響か……。
 今回ルートのこの辺を東山道武蔵路が通ってたと推定されている。

③徳蔵寺
 東村山市諏訪町にある臨済宗大徳寺派の寺院で福寿山と号す。本尊は白衣観音で創建年代は不詳だが、新編武蔵風土記稿では、壁英禅師(寛永12年)を創建と記している。新田義貞の鎌倉攻めの際に、藤原氏盛貞公が今後の戦勝を祈願するために守り本尊とした白衣観世音菩薩が安置されている。
 また、新田氏が久米川で戦死した 斉藤氏を供養するために建てた「元弘の碑」が永春庵(江戸時代中期に八国山より境内へ移した)で保存されている。
板碑保存館では数多くの板碑を保存している。

 住宅地を抜けると、正面に八国山緑地公園の丘。その際に沿って行くと遊歩道的な公園が右手にある。そこが久米川古戦場跡。その標柱の横に電圧制御盤があり、無線を使っての点検中でした。徳蔵寺前の工事がここで関連……。

④久米川古戦場跡
 八国山から東山道武蔵路沿い、そして鎌倉街道の西側が戦いの場になっていた。今は住宅地となって戦場であった事は標柱がなければ想像しにくい。
【久米川の戦い】
元弘の乱の戦いの一つで、鎌倉時代最末期の元弘3年5月12日に、武蔵国久米川において、桜田貞国率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間で行われた合戦である。
 前日の小手指原の合戦で勝利した義貞の軍勢が久米川に布陣する幕府軍に、早朝に奇襲を仕掛けたことで戦闘が発生した。貞国は奇襲に対する備えを講じており、奇襲は不発に終わったが、幕府軍の戦法を義貞は看破し、陣を拡散させ手薄になった本陣を狙い打ちにした。これにより長崎、加治軍は撃破され、貞国は軍勢を纏め、分倍河原まで撤退した。

 八国山緑地公園を昇る事5分程で、右手に塚が現れる。公園内は緑地の散策路で、雑木林の中を進んで行く。

⑤将軍塚
 かつて駿河・甲斐・伊豆・相模・常陸・上野・下野・信濃の八ヶ国の山々を望めたことから八国山と呼ばれた。また狭山丘陵の東端に位置し東側には鎌倉街道が南北に通っていたことから、八国山周辺は幾度となく戦場となっていた。鎌倉幕府討幕の軍を挙げた義貞は小手指原で勝利し、そのままの勢いで八国山に陣を張り、ここから指揮をとり麓の幕府軍と対峙した。現在、この陣の跡地を将軍塚と呼でいる。

徳蔵寺の山門

③徳蔵寺 山門

徳蔵寺の建物その他

③徳蔵寺 永春庵
元弘の碑が保存されている。本尊は聖観音菩薩。

徳蔵寺の仏像

③徳蔵寺 聖観音菩薩(永春庵)

徳蔵寺の仏像

③徳蔵寺 十一面観世音菩薩

徳蔵寺の地蔵

③徳蔵寺 六地蔵

徳蔵寺の本殿

③徳蔵寺 本堂

徳蔵寺(東京都)

③徳蔵寺 本堂

徳蔵寺の山門

③徳蔵寺 板碑保存館
徳蔵寺に保管されていた板碑、石碑、土器道標等を保存し展示している。

徳蔵寺の御朱印

③徳蔵寺 御朱印
狭山三十三観音霊場

徳蔵寺の御朱印

③徳蔵寺 永春庵御朱印
狭山三十三観音霊場

徳蔵寺の建物その他

④久米川古戦場跡 石碑と案内板

徳蔵寺の建物その他

④久米川古戦場跡 電気点検整備中……。

徳蔵寺の周辺

④久米川古戦場跡 風景

徳蔵寺の建物その他

⑤将軍塚 元弘青石塔婆所在跡碑
かって「元弘の板碑」があった場所

徳蔵寺(東京都)

⑤将軍塚 石碑

徳蔵寺(東京都)

⑤将軍塚 説明文

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タケ
2021年04月18日(日)
491投稿

武蔵野三十三観音7番札所。

徳蔵寺の山門

山門

徳蔵寺の建物その他
徳蔵寺の地蔵

六地蔵

徳蔵寺の本殿

本堂

徳蔵寺の建物その他

境内

徳蔵寺の御朱印

御朱印

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