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たなしじんじゃ

田無神社の御由緒・歴史
公式東京都 田無駅

ご祭神「本殿」《主》大己貴命、級津彦命(しなつひこのみこと)・級戸辺命(しなとべのみこと)
《合》猿田彦命、八衢比古神、八衢比売神、須佐之男命、倉稲魂命、應神天皇、大鳥大神
「境内社」 塩土老翁、煩大人神、須佐之男命、猿田彦命、少彦名命、須勢理比売命、白龍、黒龍、青龍、赤龍
創建時代創建:鎌倉時代(尉殿権現として谷戸の宮山に鎮座)遷座:1670年
ご由緒

田無神社の創建は鎌倉時代まで遡ります。

当初は現在の鎮座地より北へ1キロほど離れた北谷戸の宮山に鎮座しており、尉殿権現と称しておりました。
時代は下り江戸時代になると、江戸城増改築に際して、漆喰の原料である石灰運搬のために青梅街道が開かれました。
これに伴い、北谷戸の住人たちは青梅街道沿いに移り住むこととなりました。これにより、江戸と青梅のほぼ中間にあり、交通の要所である「宿場町田無」の町の歴史が始まることになります。
その後、川越から江戸へ石灰を運ぶ舟ができると青梅街道を利用した石灰運搬は無くなることになりますが、その後、青梅から甲府までの道が開通すると甲州街道の裏街道として再び賑わいを取り戻していきます。
このような歴史の経緯の中で、宮山に鎮座する尉殿権現社は17世紀に宮山から現在の鎮座地に遷座します。

その後、尉殿権現は明治政府の「神仏分離」政策により、明治5年(1872)に田無神社と社名を改めます。
明治43年(1910)に町内の5つの小社を合祀、昭和24年(1949)に大阪市阿倍野の大鳥神社より大鳥大神が分祀され現在に至ります。

田無神社の主祭神は、大己貴命、級津彦命(しなつひこのみこと)・級戸辺命(しなとべのみこと)であります。
大己貴命は出雲大社の祭神であり日本各地の神社でお祀りされています。
「古事記」によれば、素戔嗚尊の娘神である須勢理比売命と婚姻し、海の向こうからやってきた少彦名命と協力して日本国の開拓経営に尽力され葦原中国(日本国の異称)の主となられました。
その後、天照大御神の葦原中国平定の命を受け天降った武御雷神に国譲りをし、幽界にお隠れになられました。

また、尉殿大権現と称されていた創建当初より級津彦命 (しなつひこのみこと)・級戸辺命( しなとべのみこと)をお祀りしております。この二柱は龍田大社や伊勢神宮・内宮の別宮である風日祈宮、外宮の別宮である風宮などでお祀りされる風を司る神様です。元寇の際に神風を吹かせ、日本の国土をお守りくださった霊験あらたかな神様であられます。
現在は五行思想に基づき本殿に級津彦命(しなつひこのみこと)・級戸辺命(しなとべのみこと)として金龍、境内各所に黒龍、白龍神、赤龍、青龍を配祀し五龍神として信仰されております。

内務省神社局の指導で、明治39年(1906)から43年(1910)にかけて神社合祀が行われました。
田無神社は、明治43年(1910)に町内の5つの小社を合祀しました。
この5社は、上向台鎮座の八衢比古神(ヤチマタヒコノカミ)・八衢比売神(ヤチマタヒメノカミ)を主祭神とする八幡神社、下向台鎮座の須佐之男命(スサノオノミコト)を主祭神とする八坂神社、北芝久保鎮座の倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)を主祭神とする稲荷神社、上宿鎮座の應神天皇(オウジンテンノウ)を主祭神とする八幡神社、谷戸に鎮座する猿田彦命(サルタヒコノミコト)を主祭神にする熊野神社(通称オクマン様)であります。

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