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令和6年(2024年)12月14日
東京都台東区千束の吉原神社にお参り
駅からハイキングの上野駅から南千住駅までのコースの途中まで歩く。
吉原神社に到着。駅ハイのパンフを持った人たちが結構いる。あれ?社殿の向かって左側の奥の方の門が開いている。こういう門って、あっただろうか?新しい門のような気もする。最近整備をしたのかもしれない。境内には吉原の説明をした紙が貼ってある。この神社はもともと吉原の四隅で祀られていた神社を一つにまとめたものとのこと。江戸時代、明治になってからの地図が貼ってあり、お店の名前が書き込まれている。この地域で生まれた子供は肩身の狭い思いをして外に出ていったということも書かれている。
こちらでいただける吉原弁財天の御朱印はへびが描かれていて人気があるのだが、今回はやめておく。








令和6年6月6日 ⑤ 吉原弁財天本宮様から吉原神社様へ行きました😊
【吉原神社】
当社は吉原遊郭とともに歩んできた神社です。吉原遊郭は元和3年(1617年)、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が江戸市中に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町の東隣(現在の日本橋人形町周辺)に集めたことにはじまります。この地には葦(よし)が生い茂っており、そこから「葦原」、転じて「吉原」と命名されました。しかし次第に吉原が江戸の中心地になってしまったため、明暦3年(1655年)に現在地である千束村へ移転となりまた。以後、日本橋葺屋町付近にあった頃の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」といいます。
この「新吉原」には廓の守護神として五つの稲荷社が存在しました。吉原の入口である大門(おおもん)の手前に「玄徳(よしとく)稲荷社(吉徳稲荷社)」、さらに廓内の四隅には「榎本稲荷社」「明石稲荷社」「開運稲荷社」「九郎助稲荷社」がお祀りされていました。
その後明治14年に、これら五つの稲荷社が合祀され、総称して吉原神社と名付けられました。当初は玄徳稲荷社旧地にお祀りされていましたが、関東大震災にて焼失。震災後は水道尻付近の仮社殿にてお祀りしていましたが、昭和9年に現在地へ新社殿を造営、そのさい新吉原隣接の花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀しました。その後昭和20年の東京大空襲で惜しくも焼失しますが、昭和43年に現社殿が造営されて現在に至ります。
ー吉原神社HPよりー

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