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元神明宮の御由緒・歴史
東京都 赤羽橋駅

ご祭神天照皇大御神
ご由緒

元神明宮は、伊勢神宮・内宮の御祭神・天照皇大御神をお祀りしております。創建は平安時代に遡り、第六十六代一条天皇の勅命により、寛弘二年(1005年)に奉斎された古社であります。古くは「羅生門」の鬼退治で有名な平安中期の武将渡辺綱の篤い信仰を受けた御社でもあります。また、鎌倉時代の戦乱の世も源頼朝を始め多くの武士から崇敬を受けて参りました。
 天正年間(1573年-1592年)になると、江戸に入府した徳川家の命により、神宝・御神体をすべて飯倉神明(現在の芝大神宮)に遷そうとするところを氏子の人々が「御神体だけは渡せない」と夜通し警護してお守りしたと伝えられております。それ以後、当宮を元神明、芝大神宮を飯倉神明または芝神明と呼び、共に篤く信仰を受けて参りました。江戸時代には徳川家より葵ノ紋章付奉幣串等が奉納され、現在も社殿に残されております。その他にも氏子崇敬者より天和三年(1683年)に奉納された境内の手水石や文化元年(1804年)に奉納された太鼓などが現存しております。
 相殿として本殿には安産の神、水難・火難除けの神として崇敬されている東京水天宮が祀られております。この水天宮は、文政元年(1818年)当社に隣接する久留米藩有馬上屋敷内に、邸内社として領地の九州久留米水天宮から分祀され、明治初年に有馬邸が青山に移転する際、当社にも御分霊を奉斎いたしました。その後、青山の有馬邸内社は日本橋蛎殻町の現水天宮社地に移転しました。
 また、境内の平河稲荷神社は、旧江戸城内紅葉山に鎮座されておりました。徳川家三代将軍家光の御台様(妻)が信仰していたと伝えられております。王政復古の際に縁があった当地に奉斎されました。
 過去200年間の御社殿の造営記録を調べてみますと、天保七年(1836年)に、本殿・幣殿・拝殿の造営。明治三十年(1897年)に拝殿の屋根改修。大正十四年(1925年)には本殿・幣殿の改築。そして、平成に入り旧御社殿の老朽化に伴い、全面的な改築工事が行われ、氏子崇敬者の皆様方の多大なるご支援ご協力により、日本で初めて古来からの伝統木造建築と近代のコンクリート建築の融合による画期的な御社殿が、平成六年六月に竣功いたしました。

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