五十稲荷神社は
京都の伏見稲荷神社より
お御霊を分けていただき
江戸時代には
安産・子授けの守護として
徳川家から厚く信仰されていました。
その後、神社敷地が
足利戸田藩の大名屋敷となり
足利にあります
栄富稲荷神社も合わせて
勧請(かんじょう)し
名称を栄寿稲荷神社(えいじゅ
いなりじんじゃ)としました。
その後、一般にも開放し
町民もお詣りができるようになり
織物の市(いち)が立つようになり
ました。
市(いち)は形を変えて縁日となり
戦後まで続いて大変な賑わいだった
そうです。
その日が5.10.15.20.25.30日
の五十日(ごとうび)でしたので
五十稲荷神社
(ごとういなりじんじゃ)と呼ばれるようになりました。
当神社は現在も愛称が神社名に使われています。
正式名称:栄寿稲荷神社(えいじゅいなりじんじゃ) |