ゆしませいどう
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楽しみ方湯島聖堂のお参りの記録一覧

想著名字和其他神社寺廟有些不同,沒想到居然是孔廟。境內除了很龐大的大成殿外,還有一尊台灣獅子會贈與的孔子銅像。雖然此地就在神田明神的隔壁,但是非常幽靜。

500円です





神社やお寺とは違いますが、学問の孔子を祀る学問のパワースポットだそう。
私は関係ないけど、受験鉛筆が販売していて面白かったです。
平日の昼間にも関わらず、それなりに観光客がいました。

500円で、直筆です。






御朱印などが売っている斯文会館。売店とは別の建物になります。

会館で売られていました。


神田神社の表参道(隨神門)近くにありました。初めて伺いました。
寺院のような神聖な空気感。


入徳門


階段を上ると

杏壇門

大成殿

杏壇門裏側

屋根の上

入徳門の右側を進むと


孔子銅像、でっかい!

銅像近くにあった

仰高門

書置きで御朱印は頂けます

霊獣が見下ろす不思議空間・湯島聖堂👿
国の史跡でもある湯島聖堂。中に入ったことがなかったのですが、初めてお参りしてきました。
1690年(元禄3年)、徳川綱吉が建立した孔子廟。儒学の聖地として栄え、後に幕府直轄の昌平坂学問所(後の東大の前身)となりました。
一歩門をくぐるとひんやりとした木立の森の中にあり、平日のせいかとても静かでした。

書き置きでいただきました
(お寺用か神社用かわからなかったので)

仰高門から入ります

少し行くと右側に世界最大の孔子像が静かに佇んでいます

楷書の語源になった孔子の木とも呼ばれる楷の木

人徳門をくぐり

杏壇門をくぐると

大成殿がどどーんと現れます

黒塗りで威風堂々とした建物

屋根を見ると
神魚・鬼口頭と霊獣・鬼龍子

ズームで見るとすごい迫力✨️

あちこちから見下ろしています
誰もいなくて、異空間に迷い込んだよう

帰りに入口近くのこちらの立派な会館の事務局で御朱印をいただきました

こちらの屋根にも羽根のある霊獣が


一歩外に出ると聖橋
都会です

フォローさせて頂いているなおこ♪さんの投稿を拝見して、4月初めに神田神社からこちらへ回り、御朱印を頂いたまま,投稿していないことに気付きました。
うっかり漏れが結構あるのですが、気付かせて頂いてありがとうございました😊
この時に撮った桜が少し残っていた風景の写真、探したら削除していないで残っていました^_^:
実はこちらは予定外で、神田明神さんから、行きと違う駅方向へ向かっているはずが、ちょっと迷い^_^:〔湯島〕という文字を見ただけで、このまま湯島天神さんまで繋がってるとか?(つながってないです^_^:)そんな方向だったかな?(方向と言えば方向でしたが,見当違いでした^_^:)と無知なまま想定外でしたが導かれ入り、静かな素敵な風景に満足した記憶が蘇りました。
そして私も、こちらの正確な立ち位置がどうなのか…と悩んだことも…。













湯島聖堂は、東京都文京区湯島一丁目に位置する孔子廟であり、1690年(元禄3年)に江戸幕府第5代将軍徳川綱吉によって建設されました。この地には「日本の学校教育発祥の地」の掲示があり、聖橋を渡った森の中にその姿を残しています。
● 林羅山による初期の聖堂
この聖堂の起源は、林羅山が1632年(寛永9年)に現在の上野恩賜公園に建てた「先聖殿」という孔子廟にさかのぼります。綱吉はこの先聖殿を湯島に移築し「大成殿」と改称。さらに付属する建物を含めて「聖堂」と総称しました。
● 幕府直轄の学問所への発展
林家が開いていた私塾が1797年(寛政9年)、湯島聖堂内に幕府直轄の学問所「昌平坂学問所」(昌平黌)として発展。この学問所は、儒教教育の中心地となり、多くの学者や学生が集いました。
● 再建と発展
湯島聖堂は江戸時代から度重なる火災、1923年の関東大震災、第二次世界大戦時の空襲で幾度も被害を受けました。しかし、1935年(昭和10年)には鉄筋コンクリート造りで再建され、現在の姿に至ります。この際、大成殿は黒色エナメル塗りの外観となり、屋根には青銅製の鬼狛頭が設置されました。
● 世界最大の孔子像
現在、湯島聖堂構内には世界最大の孔子像が設置されています。この像は1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたもので、孔子の教えを象徴する重要な存在となっています。
儒教と日本への影響
● 孔子とその教え
孔子(紀元前551年–479年)は春秋時代の中国で生まれ、人間愛を中心とした教えを説きました。その思想は「論語」という書物にまとめられ、後世の儒教の基盤となりました。日本には4世紀末に伝来し、学問を志す者の必読書として重んじられてきました。
● 昌平坂学問所から東京大学へ
昌平坂学問所は、後に維新政府の下で閉鎖されますが、その流れは東京大学へと受け継がれます。教育機関としての湯島聖堂の役割は、現代の日本教育の基盤となりました。
● 国の史跡指定
1922年(大正11年)に国の史跡に指定され、保存が進められました。その後も文化庁による修復工事が行われ、1993年(平成5年)に竣工しています。
● 湯島天満宮との関係
湯島天満宮と並び、特に受験シーズンには合格祈願のための学生たちが訪れます。合格祈願の鉛筆が人気で、多くの受験生が買い求めています。
● ドラマや映像作品のロケ地
湯島聖堂は、その重厚な雰囲気から多くの映像作品のロケ地としても利用されています。特にドラマ「西遊記」や音楽ビデオの撮影に使用されました。











さぁ東京⑧国指定史跡『湯島聖堂』🌿
徳川幕府直轄の昌平坂学問所〜ずっと行きたかった儒教の始祖である孔子を祀る廟。素晴らしい御朱印も書いていただけるのが嬉しい( ꈍᴗꈍ)
寺社仏閣ではありませんが、美しい建築物と豊かな自然に触れ癒やしの時間を過ごしました♪
神田明神とご近所だと遅ればせながら気付き、湯島聖堂からお散歩気分で参拝へ向かいました🍀

とても美しい文字の御朱印😌
ポストカードもいただきました。
歌舞伎座御朱印(集印)帳の一項目✨
神社でもお寺でもないからバッチリ

《入徳門》
昌平坂学問所時代の1704年に建立!
江戸時代唯一の遺構、、残って良かった😌
紅葉も綺麗🍁

《孔子像》
高さ4.5m!世界最大の孔子像らしい😃

《杏壇門》
孔子が学問を講じた壇の近くに杏の木があったので、学問を教える場所や学問所の建物を杏壇と呼ぶようになったのが名前の由来だそう〜なんと素敵♪

さすが幕府直轄の学問所だった場所!
合格祈願の絵馬がたくさんありました。
これから更に増える時期ですね、、

受験生よ頑張って!

〜大成殿と廻廊(東廡・西廡)〜
奥の銀杏の黄葉とのコラボも綺麗でした。
こちらの朝鮮や中国のような建築
↓日本では見ないものにも遭遇

〜鬼口頭と鬼龍子〜
鯱鉾や鳳凰とは少し違う、、「鬼口頭」は
神魚が潮を噴き上げている様子だとか😄
その前で睨みを利かせるぱっと見は虎、、
そんな霊獣は「鬼龍子」カッコイイ💕

《大成殿/孔子廟》
関東大震災で焼失、昭和10年に再興。
工学博士(東京帝国大学)伊東忠太教授の設計により、寛政時代の旧制を模した鉄筋コンクリート造で美しい姿がよみがえる✨

奥には孔子像🙏
孟子、顔子などの聖人も祀られています

《杏壇門》裏から見ても美しい✨

こちらにも鬼口頭と鬼龍子🥰
朝鮮や中国の建築に見られる


〜楷の木〜
孔子の墓所にも植えられている楷の木は
楷書のいわれにもなっている樹木。

詳しい由来はこちら

《仰高門》
こちらの表から入り裏から出ました

《斯文会館》
仰高門の右側にあるシブい建物😊
中も文化と学問のかおり漂う雰囲気!

御朱印待ちの札も素敵✨
「御朱印帳はありますか?」と問われ
ピカピカの歌舞伎座集印帳の出番!
待つのも楽しいレトロ空間でした😄

〜すだじい〜
はじめて見ました

5~6月 黄色い香りの強い花が咲くらしい
見てみたいな🌿

こちらから出て神田明神へ寄りました。
近所なので寄らない選択肢なし😊

曇りで蒸し暑い日。御茶ノ水の湯島聖堂にお参りに行きました。都会の中の森でした。湯島聖堂は孔子で有名な所です。立派な孔子廟を観てきました。

直書きの御朱印

湯島聖堂の説明と略図

最初の門(入徳門)

第二の門(杏壇門)

大成殿(孔子廟の正式名称)

第五代徳川綱吉が現在地に移設

殿内中央に孔子像、左右には顔子、曾子、子思、孟子の四賢像が祀ってありました

孔子銅像(約4.5m)

東京都文京区にある孔子廟(孔子を祀る霊廟)。
林羅山邸にあった孔子廟を1690年に徳川綱吉が現在の場所にうつし、規模を拡大。官学の府としたとのことで、後に11代・家斉の時代にさらに規模を拡大して、幕府直轄の昌平坂学問所となっています。


大成殿:関東大震災で消失したため、昭和10年に再建

杏壇門

入徳門:1704年建造。聖堂内、唯一の木造建造物

仰高門:昭和10年再建

東京都のおすすめ3選❄️
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