ひえたじんじゃ
薭田神社のお参りの記録一覧
蒲田八幡宮兼務社巡り③延喜式内社・薭田神社の論社。誉田別命、天照大神、武内宿禰命、荒木田襲津彦命、春日大神を祀っています。歴史はこの地区で最も古く中心的役割を果たしていました。現在の本務社である蒲田八幡神社はこちらを分祀したもので、当初は新宿八幡神社と称しており、こちらが蒲田八幡神社と称していました。車で向かうと神社前は一方通行で、先に椿神社を参拝した方が便利かと思われます。神社の駐車場は柵があり侵入できない状態でした。戦災後整備されて社殿も最近になり新しくなっていますが全体の運行は歴史を感じられる神社でした。
社号標
神橋
寛政十二年(1800)寄進の鳥居 区内最古の石鳥居の一つ(区有形文化財)
由緒書碑
参道
手水舎
手水鉢
山野神社合祀碑
天祖神社記念碑
明治七年(1874)奉納の灯籠
昭和三十四年(1959)奉納の狛犬
拝殿 平成十二年(2000)造営
扁額
本殿
境内社鳥居
扁額
手水鉢
境内社 三十番神社 三十番神と云う神仏習合の信仰で、毎日交替で国家・国民などを守護するとされた三十柱の神々を祀る神社
境内社鳥居
扁額
眷属の狐
境内社 稲荷神社
境内社鳥居
扁額
狛犬
境内社 薬祖神社 地主神と伝えられています
蒲田八幡兼務社巡り^^
3番手は 稗田神社
住宅地の中に静かに佇む神社です
綺麗に整備された境内には幾本もの梅の樹が^^
まだまだ蕾の状態が殆どでしたが あと数週後満開のころはかなりの風景になるでしょう^^
つづいて 椿神社 へ^^
鳥居と参道
拝殿
手水舎
おみくじ^^ いっぱい掛かってました^^
境内社3社
紅梅^^ チラホラ咲いてました^^
御朱印
蒲田六社巡りの五社目として初めてお詣りさせていただきました。
石碑です
鳥居です
手水舎です
御由緒の石碑です
本殿です
御朱印は蒲田八幡神社で拝受できます
蒲田八幡神社で拝受した御朱印です
薭田神社(ひえた~)は、東京都大田区にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は、誉田別命、天照大神、武内宿禰命、荒木田襲津彦命、春日大神の5柱。
社伝によると、奈良時代直前の709年に行基によって創建されたとしている。平安時代927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 荏原郡 薭田神社 小」の論社の1社となっている。(他の論社としては、港区の「御田八幡神社」、大田区の「六郷神社」、「鵜ノ木八幡神社」がある。)
社名については、もともと延喜式神名帳記載以前は「蒲田神社」であったが、「蒲」の古字が「草冠に補」であり、やがて「薭」と書き間違われ、読み方も「ひえた」と変わってしまったとしている。
当社は、京急本線・京急蒲田駅の北西300mの住宅地の中にある。境内はそこそこの広さがあって、古巨木はないものの草木が多いため、庭木が豊富な個人住宅のような感じで、住宅街に溶け込んでいる。
今回は、武蔵国の式内論社として参拝することに。参拝時は平日の午前中で、近所住民と思しきご老人がいたが、それ以外には参拝者はいなかった。
境内入口の<鳥居>。
鳥居をくぐって参道を進むと、右側にある<手水舎>。
<拝殿>と<狛犬>。社殿はそこそこ古そうだが塗装がパリッとしている。狛犬はけっこう古そうな見た目。
<拝殿>全景。社務所は無人だが、拝殿の扉はちゃんと開いている。素晴らしい!(蒲田八幡神社が兼務)
社伝の右手に境内社が鳥居とともに3社並んで建っている。
左側に建っている<薬祖神社>。社号が書かれた扁額は鳥居に掛かっている。
中央に立っている<稲荷神社>。そういえば、面白いのはこの3社、同じ時期に建立されたと思われるが、社殿の形がすべて違っている。
右側になっている<三十番神社>。珍しい社名。調べると、三十番神は、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことらしい。
参道右手にある<天祖神社 合祀の碑>。
参道右手にある<山野神社 合祀の碑>。
参道右手にある、根の張り方が魅力的な古木。
境内入口。1本の道が二手に分かれる場所にある。<社号標>は鳥居と少し離れて立っている。
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