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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※蒲田八幡神社ではいただけません
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惣一郎
2021年08月14日(土)
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蒲田八幡神社は、東京都大田区にある神社。祭神は、誉田別命(応神天皇)。

創建は不詳だが、社伝によると江戸時代直前の1600年ごろ、荏原郡蒲田村から蒲田新宿村を分村するにあたり、蒲田村の鎮守であった稗田神社から行基作の神体三座のうち、春日の像一体を分祀し創建したとしている。なお、春日の像は太平洋戦争の米軍空爆により焼失している。

当社は、京急本線・京急蒲田駅の西方80m(近っ!)の市街地にある。駅前の商業的に便利な立地にもかかわらず、広々とした敷地を保っていて、社殿等の建造物や鳥居、柵などはいずれも新しく、氏子中の篤い信仰を受けていることが推察される。クリーンで清々しい雰囲気。

今回は、当社が武蔵国の式内論社である「薭田(ひえた)神社」を兼務していることから、御朱印を拝受するために参拝することに。参拝時は平日の午前中で、駅近で便利な立地なこともあるのか、家族連れなどの参拝者は来ていた。

蒲田八幡神社の鳥居

境内入口の<鳥居>。

蒲田八幡神社(東京都)

鳥居をくぐって、左側にある<手水舎>。

蒲田八幡神社の末社

手水舎の隣にある<満願火伏稲荷神社>。宇迦之御魂大神を祀る。米軍による東京大空襲でも被災しなかったことから火防に霊験あらたかとされている。旧社殿は現社殿内に奉安されているとのこと。

蒲田八幡神社の本殿

満願火伏稲荷神社から<拝殿>を望む。

蒲田八幡神社の建物その他

参道左手にある、真新しい<社務所>。御朱印はこちら。

蒲田八幡神社の自然

参道右側、拝殿前にある<御神木>。

蒲田八幡神社の本殿

<拝殿>全景。塗装がパリッとしていて、狛犬とともに、新しい感じ。

蒲田八幡神社(東京都)

<社殿>全景。本殿も同時期に再建されているみたい。

蒲田八幡神社の末社

社伝の左側にある<天祖神社>の鳥居。

蒲田八幡神社(東京都)

<天祖神社>の社殿と狛犬。明治末期1910年に近隣から遷座してきたとのこと。

蒲田八幡神社の本殿

社務所で御朱印を拝受していると、続々と家族連れがやって来て参拝していた。

蒲田八幡神社(東京都)

<境内>全景。<社号標>は鳥居から離れて立っている。

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歴史

当社の創祓は不祥ですが、境内に小円墳があったこと、また、言い伝えや伝説、史実などから、相当古くから聖地として村人の信仰の場であったものと思われます。この地は多摩川の河ロにあたり、水の便が良く、交通の要衝にして物資の集散地ともなり、都からの文化の伝播ももっとも早く、関東における文化の先進地でありました。したがって縄文式文化時代の原始信仰と共に形づくられた斎場が時代とともに推移して今日の姿になったものと思われます。
 蒲田村より新宿分村に当たり、鎮守の神として、稗田神社から行基作の神体三座のうち、春日の像一体を分ちお祓りしたところ、霊験あらたかであったといいます。新宿分村は慶長の頃と言われていますが、一説には平安末期か鎌倉初期とも言われ、決定的な資料は残されていません。しかし、諸般の事情を推論して慶長五年を新宿分村、当社御鎮座とさだめ、平成十二年に御鎮座四百年祭を施行しました。
明治維新となり、神仏分離によって春日の像は別当妙安寺に移されましたが、戦災によって焼失しました。
 昭和二十年四月十五日、戦災により社殿は焼失しましたが、たちまち再建気運が勃興しました。戦後復興していく蒲田の中心にあったため、昭和二十四年八月、新宿八幡神社を改め【蒲田八幡神社】と称えるようになりました。
 氏子崇敬者の奉賛によって現在に見る壮麗な社殿は竣工し、昭和三十三年八月八日、御社殿復興遷宮祭を執行、その後多くの記念事業、記念大祭を執行しました。

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蒲田八幡神社の基本情報

住所東京都大田区蒲田4-18-18
行き方

京急蒲田駅西口より徒歩2分
JR蒲田駅より徒歩15分

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名称蒲田八幡神社
読み方かまたはちまんじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
ホームページhttp://kamatahachiman.org/index1.html

詳細情報

ご祭神《主》誉田別命
ご由緒

当社の創祓は不祥ですが、境内に小円墳があったこと、また、言い伝えや伝説、史実などから、相当古くから聖地として村人の信仰の場であったものと思われます。この地は多摩川の河ロにあたり、水の便が良く、交通の要衝にして物資の集散地ともなり、都からの文化の伝播ももっとも早く、関東における文化の先進地でありました。したがって縄文式文化時代の原始信仰と共に形づくられた斎場が時代とともに推移して今日の姿になったものと思われます。
 蒲田村より新宿分村に当たり、鎮守の神として、稗田神社から行基作の神体三座のうち、春日の像一体を分ちお祓りしたところ、霊験あらたかであったといいます。新宿分村は慶長の頃と言われていますが、一説には平安末期か鎌倉初期とも言われ、決定的な資料は残されていません。しかし、諸般の事情を推論して慶長五年を新宿分村、当社御鎮座とさだめ、平成十二年に御鎮座四百年祭を施行しました。
明治維新となり、神仏分離によって春日の像は別当妙安寺に移されましたが、戦災によって焼失しました。
 昭和二十年四月十五日、戦災により社殿は焼失しましたが、たちまち再建気運が勃興しました。戦後復興していく蒲田の中心にあったため、昭和二十四年八月、新宿八幡神社を改め【蒲田八幡神社】と称えるようになりました。
 氏子崇敬者の奉賛によって現在に見る壮麗な社殿は竣工し、昭和三十三年八月八日、御社殿復興遷宮祭を執行、その後多くの記念事業、記念大祭を執行しました。

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