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歴史

当社御鎮座の年代は明らかではないが、その昔大森海岸袖ヶ浦へ着岸された御神体を村民が尊崇して一祠を建立したといわれ、御創建は、江戸初期ともいわれているが、区内の社寺の多くが鎌倉時代を機として其の源を発している事を考えると更に遡るものと思われる。古老の多くもこの様に語られ昭和三十九年には五百年祭が盛大に執行された。
 御祭神の建御名方命は大国主命の第二子にましまして風水害や流行病を防ぎ農耕の神として又漁業の神としての信仰厚く、特に武神としてのほまれ高くはなはだ霊力強き神として氏子の崇神の念益々厚く、神威赫々として今日に至っている。
 昭和十一年には村社に定められ、東京府下荏原郡大森村字山谷(東山谷-大森東二丁目、南山谷-大森西三丁目、北山谷-大森西二丁目)の鎮守であった。
 昭和二十年戦災により社殿が焼失した為、昭和二十二年いち早く仮本殿を復興する事となり、御神体を本社より勧請し、氏子総代金子太郎右エ門宅に仮安置し、昭和二十三年本殿へご遷宮した。
 現在の社殿(銅板葺流れ権現造)は昭和三十二年に復興され、境内には文政七年晃申歳再建の鳥居をはじめ、狛犬、燈籠、手水屋、玉垣、記念碑等が多数建立されている。又昭和五十四年には社務所を改築し、続く昭和五十六年には神楽殿の新築をし氏子崇敬者一丸となって神慮を畏み、氏神様を心のよりどころとして、豊かな人間生活形成の原点としてますます道の精華を発揮している。
 尚伝承として、境内に一匹の白蛇が住んで祭礼の時氏子多数お参りして知らずに白蛇の尾端を踏んだので、古来祭礼には必ず雨が降ると伝へられている。

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名称大森諏訪神社
読み方おおもりすわじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》建御名方命
ご由緒

当社御鎮座の年代は明らかではないが、その昔大森海岸袖ヶ浦へ着岸された御神体を村民が尊崇して一祠を建立したといわれ、御創建は、江戸初期ともいわれているが、区内の社寺の多くが鎌倉時代を機として其の源を発している事を考えると更に遡るものと思われる。古老の多くもこの様に語られ昭和三十九年には五百年祭が盛大に執行された。
 御祭神の建御名方命は大国主命の第二子にましまして風水害や流行病を防ぎ農耕の神として又漁業の神としての信仰厚く、特に武神としてのほまれ高くはなはだ霊力強き神として氏子の崇神の念益々厚く、神威赫々として今日に至っている。
 昭和十一年には村社に定められ、東京府下荏原郡大森村字山谷(東山谷-大森東二丁目、南山谷-大森西三丁目、北山谷-大森西二丁目)の鎮守であった。
 昭和二十年戦災により社殿が焼失した為、昭和二十二年いち早く仮本殿を復興する事となり、御神体を本社より勧請し、氏子総代金子太郎右エ門宅に仮安置し、昭和二十三年本殿へご遷宮した。
 現在の社殿(銅板葺流れ権現造)は昭和三十二年に復興され、境内には文政七年晃申歳再建の鳥居をはじめ、狛犬、燈籠、手水屋、玉垣、記念碑等が多数建立されている。又昭和五十四年には社務所を改築し、続く昭和五十六年には神楽殿の新築をし氏子崇敬者一丸となって神慮を畏み、氏神様を心のよりどころとして、豊かな人間生活形成の原点としてますます道の精華を発揮している。
 尚伝承として、境内に一匹の白蛇が住んで祭礼の時氏子多数お参りして知らずに白蛇の尾端を踏んだので、古来祭礼には必ず雨が降ると伝へられている。

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