高野山真言宗
永代寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
永代寺(えいたいじ)は、東京都江東区にある高野山真言宗の寺院。山号は大榮山。院号は金剛神院。本尊は歓喜天。御府内八十八ヶ所68番、江戸六地蔵6番。
江戸時代初期1624年、長盛法印の開山で永代島に創建された。江戸時代には富岡八幡宮の別当寺、江戸六地蔵の一つとして栄えたが、明治時代に入り神仏分離により廃寺となった。深川一帯に広大な寺領を有していたが、現在は深川公園や深川不動堂になっている。のちの1896年に旧永代寺塔頭の吉祥院が永代字の名称を引き継ぎ復興した。なお、当地の地名・門前仲町は、旧永代寺の門前ということで付けられた。
当寺は、東京メトロ東西線・門前仲町駅の東側出口すぐの深川不動堂入口<赤門>から境内までの参道の途中右側にある。
深川不動堂参拝時にたまたま通りかかったため参拝することに。深川不動堂に参拝した人(地元民を除く)は、高い確率で参拝しているようだった。
境内入口。石碑には<厄除弘法大師>とある。
本堂正面。
本堂に向かって左側には、小さな<地蔵堂>。
本堂に向かって右側の様子。小さな建物は繁忙期の臨時の授与所かな。
本堂前から<深川不動堂>を望む。
都内お年始ご挨拶巡り5箇所目、永代寺。深川不動堂の門前通りにひしめく参拝客の行列や屋台をひとしきり確認すべく歩いていくと、こちらが目に留まりました。程々の人の入りだったので、こちらを先にお参りしました。
この後一旦近所の喫茶店に入って休憩してから、改めて深川不動堂へお参りました。
弘法大師ということは空海さんですね!素通りなんて勿体ないです。
すぐ背後には行列なので、この3ショットが精一杯でした。
手を合わせる際には、「南無大師遍照金剛」と唱えてみました。ここでようやくご真言を授かったといえるようになったでしょうか。隣で手を合わせていたおじさんは、何がしかの読経をあげていました。かっこいいなぁと思いました。
【東京・門前仲町界隈1】
東京メトロ東西線、都営地下鉄大江戸線の門前仲町駅一帯は、「深川」と呼ばれる江戸時代以来の歴史を持つ下町の街です。
成田山新勝寺の「深川支店」とも言うべき深川不動堂の門前にあるのが永代寺。御府内八十八カ所の六十八番札所です。
略縁起によると、江戸期の永代寺は広大な境内を持ち、近くの富岡八幡宮とともに多くの人がお参りする、江戸を代表する寺院の一つだったようですが、明治期の廃仏毀釈によって廃寺に。しかし名刹がなくなるのは惜しいとして、付属の寺院(塔頭)の一つだった吉祥院を改称して、今日に至っているとのことです。
御朱印は本堂で、住職が目の前で墨をすり、「今日は蒸しますね」「もう随分回られたのですか」などと話しながら、さらさらと書いてくださいました。
御府内八十八カ所のお寺は、家族で維持しているところは住職の不在に備えて書き置きの御朱印のところも少なくないのですが、こちらは書き置きはないようです。タイミングが合わず住職がご不在だと次の機会に、となるようです。
左手奥に見えるのが深川不動堂
永代寺の本堂
深川不動堂の参道にあるお寺です。
最寄駅である門前仲町駅の「門前」はこのお寺の門前を指しているのだそう。
広くはありませんが誰でも立ち寄れる開けた雰囲気で、海外の方も興味深そうにお参りしていました。
元は富岡八幡宮の別当寺で、江戸六地蔵の一つとして栄えていたようですが、明治の神仏分離により廃寺となってしまいました。このまま無くしてしまうのは忍びないと旧永代寺塔頭のひとつである吉祥院が名称を引き継ぎ、再興されたのが現在の姿です。
尚、旧永代寺跡地は深川公園となっています。
桜が咲いていました
深川不動堂の参道に入ったら早速発見
山門
石塔に御府内八十八箇所と記載されています
手水鉢
地蔵堂
子育地蔵尊
本堂
香炉が大きくて立派でした
本堂の一角に納経所があります
用がある方は鐘を叩くようになっていましたが、開けっぴろげのお堂の中すぐそこに住職がいらっしゃるので皆さん直接声を掛けていました
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