ちゅうおうじ|曹洞宗|日照山
中央寺のお参りの記録一覧
江東区の“下町文化”という薄いパンフレットみたいな
歴史資料(2020年1月22日号)№288を観て行きたくなって行きました。
↓
https://www.city.koto.lg.jp/103020/bunkasports/bunka/shuppanbutsu/6341.html
十年位前、仕事終わってから江東区文化財のセミナーを夜受けて居ました。
初級中級という歴史講習会で修了すると
門前仲町や亀戸で観光案内のガイドするというモノだったと想われる。
当時仕事に明け暮れ、ボランティアどころでは無いので
全く歴史ガイドはやって無いのですが、気になる処は確認したい。
この中央寺訪ねてみた。玄関に年配の奥さん(住職女将さんか)が現れる。
この中央寺は現在二代目だそう。先代の住職さんが以前のお寺を戦後購入。
東京都公衆浴場組合さんの江東区浴場組合“きらく湯”があるところ。
お風呂屋さんがお寺の入口に建っている。きらく湯は何度も来ていた。
その後ろのお寺は初めて。
此処のお寺の場所に“役流山不動院”というお寺があった。修験道のお寺。
二十代で読んだ“ある宗教法人のトップの書いた本”の自叙伝(「変身の原理」)から察すると、このイマは無い“役流山不動院”・・・。
(護摩祈祷する修験道のお坊さんの宿坊)だと勝手に想われた。
下町文化288号「地域の記録①」に書いてあった。文化財専門員の大関さんが
発表されていらっしゃる。大いなる功績と想われる。
(今の住職さん聴いてもちんぷんかんぷんですよ 廃寺を戦後購入したのだから)
廃寺住職、第二次世界大戦で江東区から千葉県へ疎開したんじゃないかと想われる。
疎開されて江東区に戻らないで千葉県などに行ってしまったお寺があると
中級歴史セミナーだったかで聞いた気がした。が?ここではないよ。
もっとも疎開したお寺は仙気稲荷神社のところにあったお寺だったと想われる。
きっと第二次世界大戦前は南砂も門前仲町と同様に寺町だったのかも知れ無い。
等と夢想して、この中央寺を訪ねた。
綺麗にブロック塀が改修されていらっしゃる。
公衆浴場きらく湯の隣 大島経由の亀戸行バス路線通り沿い。
中央寺の境内からお風呂屋さんの建物眺める。
昔戦前に修験道のお寺(僧堂・宿坊だったと資料に在ります)が今禅宗のお寺。
本堂横にたぬきさまいらっしゃる。他の人をぬくという意味でしょうか。
境内からお風呂屋さんの建物(裏)眺める。
住職さんが住まわれていらっしゃる住宅。
本堂の入口看板。
本堂からお風呂屋さんがある道路を眺める。
平成になり新しく造られていらしゃる。
本堂はコンクリート製。
お庭(小さな境内)から本堂見る。
龍の石像の水盤が古そうな。
文久二年?中央寺のお寺が此処の土地買う前と想ふ。
江戸時代末期と想ふ水盤全景。
庭の白梅が良い薫り。
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