すみよしじんじゃ
住吉神社東京都 月島駅
社務所:8:00~16:30
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方
月島駅から少し歩いたところにあります。
境内社が複数あります。
朝早くから参拝者がちらほらいて、地域から愛されていると感じました。
羽田空港に行く前に参拝したので、無事北海道に戻れるようお願いしました。
直書きの御朱印を拝受。境内の龍神社のは書き置きのみでした。
朝早くからの対応ありがとうございます。

住吉神社は東京都中央区佃に位置し、長い歴史を持つ神社です。その起源は、神功皇后が三韓征伐を成功させた際、住吉三神の御守護を受けたことにさかのぼります。帰途、摂津国の田蓑島(現在の大阪市西淀川区佃)にて住吉三神を遥拝したことが、この神社の始まりです。
●徳川家康との関わり
その後、天正年間に徳川家康公と地元の漁民との関わりが深まりました。家康公は、田蓑島の村名を佃に改め、神社名も田蓑神社から住吉神社に改称するよう命じました。1590年には、家康公が関東に下る際、佃村の漁夫たちが神主と共に江戸へ移り、佃島を築島しました。この島は、故郷の名前にちなんで名付けられ、住吉三神や神功皇后、徳川家康の御神霊を祀る神社が創建されました。
●地域の守護神
佃島は江戸湊の入口に位置し、海運業や地域の人々から海上安全の守護神として信仰を集めました。江戸時代初期から地域の鎮守として、住吉神社は地元の人々にとって重要な存在でした。
●祭りと地域の文化
住吉神社では、例祭である神幸祭が重要な行事の一つです。八角形の神輿が関東では珍しいです。

東京都中央区佃に鎮座する神社。
天正年間(1573〜1592)、徳川家康が上洛し、摂津国西成郡佃村にある住吉神社に参詣した際、佃村および近隣の大和田村の漁民が神崎川に渡し船を出して家康一行を運び、白魚などを献上した。
これを機縁として、以後、両村の漁民は家康から西国海上隠密の用を受けたり、大坂の陣の際には軍船や魚の調達をするなどし、家康もまた両村の漁民に対し恩賞として全国での漁業権を与えた。
天正18年(1590)、徳川家康が関東下降の際、先述の佃村および大和田村の漁夫33人と神主・平岡権大夫好次が江戸に移った。
のち正保2年(1645)に江戸鉄砲洲向かいにある百間(約180m)四方の干潟を幕府から下賜され、漁夫らがこれを埋め立てて築島し、永住することとなる。
この島を故郷の摂津国佃村にちなんで「佃」と命名し、正保3年(1646)には、息長足姫命(神功皇后)と東照御親命(徳川家康の霊)の分霊を奉遷し、摂津国佃の住吉社(現・田蓑神社)の分霊(住吉三神)とともに祀るべく、住吉神社が創建された。
「西の海阿波伎の原の潮路より顕われ出でし住之江の神」と卜部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原に於いて顕れた伊邪那岐大神の御子・底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の三柱の神です。
神功皇后三韓征伐の際、皇后自ら御親祭をなさり住吉三神の御加護により無事達成なさりました。その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現・大阪市西淀川区佃)にて、住吉三神を遥拝なさいました。これが大阪佃の住吉の社(現・田蓑神社)の起こりです。
その後、天正年間より大阪田蓑島の人々と徳川家康公とが深い関わりを持つようになり、家康公の漁業の傍ら田も作れとの命により、村名を田蓑から佃へと改め、また田蓑の名を残すため神社名を住吉神社から田蓑神社へと改めることとなりました。
その後、家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫三十三人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分身霊を奉戴し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保三年(1646)六月二十九日、住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。
| 名称 | 住吉神社 |
|---|---|
| 読み方 | すみよしじんじゃ |
| 通称 | 佃住吉神社 |
| 参拝時間 | 社務所:8:00~16:30 |
| 参拝にかかる時間 | 20分 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 03-3531-3500 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://www.sumiyoshijinja.or.jp/ |
| お守り | あり |
| 下町八福神 第1番 |
|---|
| ご祭神 | 《主》底筒之男命,中筒之男命,表筒之男命,《配》息長足姫命(神功皇后),(東照御親命)徳川家康 |
|---|---|
| 創建時代 | 正保三年(1646) |
| 本殿 | 神明造 |
| 文化財 | 中央区指定有形文化財
|
| ご由緒 | 「西の海阿波伎の原の潮路より顕われ出でし住之江の神」と卜部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原に於いて顕れた伊邪那岐大神の御子・底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の三柱の神です。
|
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ



































































2
0